その手を取ろうとしたら、優しくさり気なく、でも確実に突き放された。 

 

だからそのまま、動けなくなった。

 

これ以上距離を縮めることもできず、かといって元に戻ることなど余計に不可能で。

そこからずっと、動けないでいる。

 

あぁ僕は・・・、愚かな子供に過ぎないんだ。

 

 

 

 

――― 溺れてく。 2 ―――

 

 

 

 

昼過ぎの中央司令部には、比較的穏やかな空気が流れていた。

 

いつもは喧騒にかき消されるにこやかな挨拶が交わされ、他愛ない話で笑い合えるような余裕が時々に生まれている。今のところ大した騒動も起こっていないためか、はたま日ごと春めく陽気のせいか。多分どちらもそうなのだろう。

 

 

しかしそんな雰囲気に反して、エレミヤ・ハディス中尉は鬼気迫る形相で廊下を歩いていた。

 

いや、歩いているというよりは、もはや走っているといってもいい。廊下は走るなという規律に最低限従っているといったスピードでそこを突っ切って行く。

そんな殺気でも放っていそうな様に気圧されて、彼女に前には自然と道が開けていった。

 

 

 

ハディス中尉は司令部の中でも指折りの美人だった。

整った顔立ちにスラリとした体躯。仕事中はきっちりと結い上げた深紅の髪は白い肌を引き立たせ、またそれは控えめな彼女のささやかな自慢でもあった。

しかし今のこの表情では、せっかくの美貌が台無しだ。けれども彼女自身はそんなこと微塵も気にしていない。はっきり言ってそれどころじゃないのだ。

 

 

彼女の脳裏に浮かんでいるのは、金髪金目の青年の姿。

現在行方不明になっている自分達の上司である。

 

行方不明といっても、実態は単なるサボりに過ぎない。しかもこんなことがよくあるものだから、本当に困る。今回のは、ちょっとトイレに言ってくるといって部屋を出ていったのが一時間前。帰ってこない上司に痺れを切らした彼女が捜索を開始して十五分が経過していた。

 

ホントに毎度のことながら、あの無能上司、見つけたらタダじゃおかないと心中で悪態をつく。

今日サボられるのは、いつにもまして困るのだ。今まで処理が滞っていた報告書やらの最終締切日なのだし、夕方には重要な会議が入っている。あれほど今日は真面目にやってくださいと口を酸っぱくして言い続けていたのに。

はぁ、と口からは重い溜め息が零れた。最近では怒りを通り越して、諦めの方が強くなってしまった。そんなことじゃいけないと、自分を叱咤してみるものの・・・。

 

 

曲がり角まで来て、一旦足を止めた。さて、一体どこを探そうか。

最も可能性の高い場所、つまりは弟であるエルリック大佐の執務室なら真っ先に訪れたのだが、そこにはいなかった。上司が用事もないのに入り浸るもんだから、エルリック大佐の部下達とはすっかり親しくなってしまった。ハディス中尉が顔を覗かせるだけで、今日も来てますよ、とか先ほど出て行かれましたよ、などと声をかけられるくらいに。

 

先ほど訪れた時には、今日はまだいらっしゃっていませんとのことだった。それに加えて珍しいことに、実は自分達の上司も行方不明なんですよ、と少し困ったような笑みを浮べて。

そう言われて部屋の奥を見たら、いつも真面目そうに仕事をしているデスクには姿がなかった。心配して大丈夫なのかと尋ねたら、多分どこかでのんびりしてるんでしょうという意外な答え。驚いていたら、割とよくあることなんですよ、もちろん他に迷惑がかからない範囲での息抜きですけどという言葉が続いた。

いつからいないのかと尋ねてみれば、ちょうど自分の上司が出て行った頃で、トイレに行ってくるという理由まで同じだった。

そうなってくると、二人で一緒にいるんじゃないかとも思えてくるが、あの兄には滅法厳しい弟がサボりを推奨するはずがない。エルリック少佐が常にサボリが原因で仕事を溜め込んでいるのは周知の事実だし、そんなことだから弟は仕事に戻るようにと兄を諭し、時には実力行使にも出てくれる。エルリック少佐の部下達にとっては、まさに心強い味方なのだ。

 

だとすれば、大佐の仕事を少佐が手伝っている、とか。それならありえるし、実際過去にも何度かあった。例えば極秘の錬金術がらみの仕事の時などは、兄弟だけで処理してしまうことが多い。

そういう場合の少佐の仕事っぷりといったら、普段が嘘のように優秀そのものだ。兄弟二人で一緒にする仕事をするのがよっぽど楽しいらしい。そんな様子を見る度に、普段もこれくらい働いてくれればいいのに、と中尉は思わずにはいられない。

 

だとすれば、いつも二人が利用している資料室辺りを覗いてみようかなと視線を右に向けたら、鮮やかな金髪が目に飛び込んできた。

それが自分の上司だと認識するや否や、中尉は思わず走り出した。

心の内を過ぎったのは、僅かな歓喜。まるで、大切な人に出会えた時のような・・・。

けれどもその思いはすぐに引っ込んで、代わりに部下としての顔を表面上に取り繕う。

 

「エルリック少佐・・・!」

多少の非難を含ませて呼び掛けたら、金色の頭は暢気そうに振り返った。そのまま立ち止まって、中尉が追いつくのを待ってくれる。

「一体どこに行ってたんですか!」

いつものようにきつい口調で咎めても、反省の色は見られない。まぁそれも、いつものことなのだが。

「だからトイレだってば。それより中尉、どっかでアル見なかったか?」

エドワードの質問に、中尉は一瞬動きを止めた。それから自然と溜め息を零す。これでおおよその事態は把握できた。つまり自分の上司は、弟を探すのに忙しくて仕事どころじゃなかったという訳なのだ。

 

「・・・エルリック大佐に何かご用でも?」

一応尋ねてみる。そうしてみたところで、内容は恐らく完全にプライベートのことなのだろうけど。

何せこの二人は滅多なことでは同じ任務に関わることはなく、司令部内での接点は殆どないのだ。時折一緒に極秘やら錬金術絡みやらの仕事をしている場合もあるが、今はそんな様子もない。何故そのようなことが分かるのかといえば、いつもそれが顔に出ているからだ。弟と仕事をしている時のエルリック少佐は、公だろうが極秘だろうが関係なく機嫌がいい。何より楽しそうだし、作業効率も断然素晴らしい。

しかし最近はいつもつまらなさそうに仕事をしている。だから中尉が本気で困るくらいに仕事が溜まってしまっているのだ。とにかくこの人は、公私混同が激しくて部下達を困らせている。その弟は全くもって正反対だというのに。

 

「用事があるから探してんの。当然だろ?」

目の前の人は、涼しい顔をしてさらりと言う。そんな風に、ただでさえ整った顔立ちで真面目そうに言われたら、大抵の人は大事な用事なのだろうと想像するだろう。

しかし中尉の場合は、全然違うことを考えていた。何しろ彼女には、過去の経験が無数にあるので。数字にすれば五十回に一回くらいだろうか、本当に重要な用事があって彼が弟の元を訪れるのは。

まぁ、それは主観の問題なのだから、他人から見れば下らない用事でも本人にとっては非常に大事なことなのかもしれない、とも思う。というより、無理にでもそう思うようにしている。例えそれが夕飯のメニューを尋ねに行っただけの場合にも。そうでもしないと、本当に呆れてやっていられないので。

 

「・・・それは今でなくてはいけませんか?」

「あぁ。先にこっちを片付けないと、仕事に集中できない。」

もしや確信犯なのではと思わせるくらいの、きっぱりとした明瞭な声。

そんなことを言われてしまったら、部下としてはどうすることもできない。本当にずるい人だ。それでいて子供のように無邪気なものだから、ついつい甘やかしたくなってしまう。

 

中尉は今度こそ、憚ることなく溜め息を零した。この人の妙な頑固さは、身に染みてよく分かっている。こうなってしまっては、諦めるしかない。

「・・・分かりました。一刻も早く用事を済まして、ご自分の仕事に戻っていただきますからね。」

「さっすが、中尉。話が早いな。」

満面の笑みで言われると、やっぱり確信犯だったのかと思わずにいられない。そうなると無邪気だなんて可愛らしいものでなく、ただの我が侭だったというコトになる。本当にどうしようもないくらい、子供みたいな人だ。・・・果たして信じてもらえるだろうか、あの鋼の錬金術師が、こんな表情をするなんて。他人にも自分にも厳しくて、大層恐れられている、この人が。

 

中尉は僅かに視線を上げて、目の前の人を見た。

単純に、嬉しいと思う。この人がそんな表情をするのは、ごく限られた人間の前だけだと知っているから。その中には自分も含まれているのだと思うと、軽い優越感を覚えずにはいられない。そんなことだから結局は許してしまうのだ。身勝手な振る舞いも頻繁に起こるサボり癖も、一向に改善される気配はないのだけれど、この人の副官になってから一度だってこの人を見限ろうと思ったことなどない。これから先もきっとそうだろう、彼が自分へと笑顔を向けてくれる間は。

そんな風に考えて浮かれる心を叱咤して、無理矢理にでも思考回路を現実へと切り替えた。とりあえずは、目前に迫ってきている今夜の残業を回避するためにも。

 

 

「ですが、その様子だとおおよそ探し終えたのでは?」

「あぁ。建物の中は大体な。執務室にはいなかったんだろ?」

「えぇ・・・。」

頷きながら僅かに訝しむ。その言い方だと、自身は執務室を覗いてはいないように聞こえる。普段ならエルリック大佐がいる可能性の最も高い場所だというのに。

そう言えばさっき訪れた時、大佐の部下が今日は来ていないと言っていたではないか。

 

「大佐もあなたと同じように、一時間ほど前から行方不明だそうですよ。」

「ふぅん。」

「もっとも同じと言っても、あちらは既に今日の分の仕事はあらかた済んでいるそうなので、こちらとは違って特に支障はないようでしたけれど。」

 

中尉の淡々とした言葉に気のない相槌を打とうとして、エドワードは一瞬動きを止めた。それから何事もなかったかのように涼しげなその顔をまじまじと見返した。

「・・・なぁ、それって俺に対する嫌味なのか?」

「そう思うというコトは、嫌味を言われても仕方のないような心当たりがあるのですね?」

 

 

中尉の口元に浮かんだ微笑の威力に気圧されて、エドワードは返答に詰まる。

そして頭の隅の方では、こういうところはアルにそっくりなんだよな、と全然関係のないことを思っていた。だから最終的には頭が上がらないのだ。

 

 

 

とりあえず建物の外へと思って歩き出す。中尉も静かにその背に従った。

自分と、二、三歩遅れて付いてくる靴音を聞きながら、こういう所も弟と似てるんだよな、とひとりごちた。何か仕出かす度に小言や嫌味を言われ、呆れられはするものの、こんな風に寄り添うみたいに付いて来てくれる。

 

「そう言えば、珍しいですね。あなたがこんなに探しているのに、まだ見つからないなんて。」

大佐を探し出すことに関しては天才的な嗅覚をお持ちなのに、とよく分からないような独り言が続く。

「あいつは子供の頃から、かくれんぼとか得意だったからな。故意にいなくなってる時は探すの大変なんだよ。いつもは行動パターンとか読めばいいだけだからさ、そんなに難しくないんだけど。」

「・・・その言い方ですと、大佐がどこかで休憩中だとご存知だったんですか?」

「あぁ、半分は勘だけどな。一時間くらい前に見かけて、そん時自分の司令室とは反対の方へ歩いていくの見たから。なんか疲れてるみたいだったし・・・。」

 

エドワードが困ったような笑みを零す。

それは彼の弟にだけ向けられる特別なものだった。込められている優しさの質が、他のとはまるで違う。そんなものを間近に見せられて、中尉は少しだけ寂しいような気持ちになる。

 

 

 

僅かな沈黙の後、二人は司令部の中庭へと出た。

てっきりその中を探すのかと思っていたら、エドワードは中には入らずに建物沿いを歩き出した。中尉は慌ててその背を追う。

数十メートルほど行った所で建物と別の建物との間の隙間があった。人一人が通れるくらいのそこを、エドワードは何の迷いもなく進んでいく。

そこを抜けると、目の前にはまた別の建物がそびえていて、それまでの間の数メートルが寂れた裏庭のようになっていた。やけに静かな場所で、表の喧騒も聞こえてこない。複雑な司令部の構造を思い出してみると、確かこの辺りには倉庫や資料室があったはずだ。それで、人気の無さに納得する。

 

 

「・・・あれ、いねぇな。」

低い呟きにはっとして側にいた筈の上司を探すと、斜め向こうにその背中が見えた。壁に向かって何かを覗き込むようにしてしゃがんでいる。近くに寄って見れば、古びた小さめの箱が置いてあった。蓋はなく、中にタオルのようなものが敷かれている。

「これは・・・?」

中尉の尋ねる声にエドワードが振り返った。その口元には僅かな苦笑が浮かんでいる。

「アルがさ、また捨て猫拾ってきちまって、飼い主が見つかるまでここで世話してんだよ。・・・あ、でもこのことは他の連中には内緒な?」

ばれたら色々うるせぇし、とうんざりしたように肩をすくめた。

「・・・ご自宅では飼えないのですか?」

この兄弟が二人で住んでいるのは確か一軒家のはずだ。聞いた話によると小さいながらも立派な庭付きだとか。エルリック大佐の猫好きは割りと有名なのだが、そういえば自宅で猫を飼っているという話は聞いたことがないような・・・。

「あぁ・・・、家ん中では飼わねぇことにしてんだ。俺達、結構不規則な生活してるし、何日も家を空けることとかも多いからな。」

語尾を濁すような物言いが気にはなったものの、視線を元に戻す。ともかくも、今現在箱の中にその猫の姿はない。

「どこかに逃げてしまったのでしょうか?」

中尉の呟きには答えず、エドワードは無言のまま辺りを見回す。やがてある一点に目を留めた。

 

「・・・あー、その上だな。」

そう言ってエドワードが指差したのは、奥の建物に取り付けられた外階段。

それは存在を忘れられたかのように、ひっそりと佇んでいる。中尉の目には、それだけの何の変哲もないものに見えるのだが。

 

「この階段が何か?」

「アルが上がってったんだよ。ほら、ここに真新しく土が付いてる。多分、猫も一緒だろうな。」

訝しげな中尉をよそに、エドワードはふっと口元を緩めた。

「何故そのようなことが分かるのですか?」

「箱の中、いつも使ってるミルク用の皿がなかった。だからアルの奴、どっかで飯やりながら猫と戯れてんだろ。」

 

また、笑みを零す。

この上司は本当に、弟のこととなると表情が途端に柔らかくなる。

それを少しでも悔しいと思うのは、多分つまらない嫉妬心だろう。そんなの無意味だと分かっているのに。だって相手は彼の弟だ。幼い頃に両親を亡くしたという彼の、唯一の家族なのだ。大切に思われるのは当然で、どんなに綺麗な女だってそのポジションにはなりえない。

まぁ、あのブラコン振りは行き過ぎだろうとも思うのだが。しばしばその溺愛ぶりにうんざりしている大佐を見るにつけ、大変だなぁと同情もしてしまう。

そんな複雑な心情を取り繕うように、中尉は済ました表情のまま階段を上る上司に続いた。

 

 

 

 

最上階で階段は終わり、その先には建物の中へと通じる扉があった。

 

「・・・中へ入らないのですか?」

一向にドアノブには手をかける気配のない上司を不審に思って中尉が声をかけると、エドワードは突拍子もなく笑い出した。

「・・・っははは、俺ってどうしてこうも天才的なんだろうな?」

中尉はますます困惑する。一体何なのか全く理解できない。まぁ、この人の行動が破天荒なのはよくあることだが。

 

「・・・アルはこの上だな。階段でも錬成して上がったんだろ。ほら、ここに錬成痕が残ってる。」

そう言いながら壁を指差しているが、そこには何の跡も見当たらない。錬金術師にしか分からないような、ごく細かいものなのだろう。

そんなものに気付くなんて、確かに天才的だと言えなくもない。

けれどもその有能ぶりはきっと、弟がらみのことだから、なのだろう。それを仕事の上でも発揮してくれれば、こちらだって少しは楽ができるのに、と少し勿体無く思う。

 

 

 

パンッと小気味良い音がして、何もないはずのそこから光が溢れる。

あっという間に屋上までの階段ができてしまった。

 

それは何度見ても不思議な光景だ。中尉には錬金術の理屈は理解できても、それをリアルに感じることはできない。

それを思う度に、彼は一体どのような世界を見ているのだろうと、ともどかしさにも似た気持ちが心をよぎる。きっと色々なものが違った風に見えているのだろう。羨ましくもあり、少し寂しくもある。

あぁやっぱり、この人は遠い存在なのだろうか、とその横顔が眩しく見えた。

 

 

 

 

階段を上って屋上に出る。

辺りを見回すと、隅の方に青い軍服姿が見えた。屋上のフェンスに背中を預けて座り込んでいる。

ここからだと俯いた顔は見えないが、風に揺れて煌く金髪の美しさで目的の人物に間違いないだろうと確信する。

よく見れば足元には小さな猫。本当に上司の推測通り、ミルク用と思われる小皿で食事中だった。

 

「・・・アイツ、寝てるな。」

ぼそりと呟かれた言葉に戸惑って中尉が左隣を向いたら、思いがけないような優しい微笑が浮かんでいて驚いた。その視線は真っ直ぐに自分の弟へと向けられている。他のことなど眼中にはなくて、世界の中で重要な意味を持つのは彼のことだけとでも言うように。

 

 

やがてエドワードはそちらに向かって歩き出した。

けれども中尉の足は動かない。いや、動かせないのだ。これ以上はあの二人に近付いてはいけないと、思ってしまうから。

何故そんなふうに感じるのかは、はっきりとは分からない。けれどもあの二人に、他人を寄せ付けない二人だけの世界があるのは間違いないだろう。

普段はそのようなこと微塵も感じさせないが、心の底に何か確固たる境界線が存在するのは確かだ。

エルリック少佐の副官になって六年の中尉でさえ、そのことに気付いたのはごく最近だ。それほど奥深いところで、この兄弟は繋がっている。

 

だから、敵わないのだ。

あの弟には。

どんなに美しく聡明で、富と権力を持っていたって、超えられない。

彼にとって弟は特別で、あの優しさは彼だけにしか向けられない。

それを目の当たりにする度に、複雑な気持ちになる。

 

二人は家族なのだからと、分かっているのに。

 

 

 

 

音を立てないようにとソロリと近付いていく。

まだ、目は覚まさない。

 

普段の弟は驚くくらいに人の気配に敏感なのに珍しいな、よっぽど疲れてんのかなと少し心配になる。

側まで寄ってしゃがみ、顔を覗きこんだ。

金色の睫が縁取る瞼は閉じられ、薄く開いた唇からは微かな寝息が零れている。相変わらずの整った顔立ち。そして童顔なのも相変わらずで。可愛らしい顔なのだから、コンプレックスに思う必要ないのに、と兄は日頃から思っているのだが、それは弟には言わずにいる。

 

こんな風にじっくりと弟の寝顔を見るのは久しぶりだった。二人で一緒に眠っていた子供の頃を思い出し、懐かしさが沸き起こる。

 

 

こんな所で寝てると風邪引くぞ、と声をかけようとしたら、足元の猫が何とも暢気な声でにゃあと鳴いた。それでアルフォンスの睫がふるりと震えて、透き通るような金色の瞳が現れる。

何度かぱちぱちと瞬きをし、まだぼんやりとした顔でエドワードを見た。

 

「・・・おはよー、アル。」

「・・・・・・・・・。」

寝惚けているのか、アルフォンスの反応は鈍い。

 

「こんな所で寝てると風邪引くぞ?」

「・・・・・・もうこんにちはの時間だよ、エルリック少佐。」

 

ちょっとだけ低めのその声は、不機嫌の証。エドワードはやれやれといった風に肩をすくめた。

「お前しつこいぞ。別にいいじゃねぇか、誰もいないんだし。」

瞼を伏せてはぁー、とアルフォンスは大きな溜め息を吐いた。もうすでに、兄に敬語を、というもくろみは諦めたらしい。まぁ最初から、今更無理だろうという思いのほうが強かったのだろうが。

 

「・・・・・・で、何の用?」

どうせろくでもないことなのだろうと想像してだるそうな声で尋ねる弟に、兄はとても胡散臭いとびきりの笑顔を送る。

 

「今日の晩飯、何?」

ガクンと盛大にアルフォンスはうなだれた。馬鹿馬鹿しくて声も出ない。

「ん?どうなんだよ、アル?」

「・・・・・・今日は帰るの遅くなるから、自分で適当に食べてよ。」

「・・・なんだ、遅くなるのか?」

「・・・会議あるでしょ、夕方に。それの事後処理とか、色々あるの。あの件は僕が担当だからね。」

 

ふぅんとエドワードはつまらなさそうに相槌を打つ。弟の作る夕食が食べられないと知って、大分機嫌を損ねたようだ。そして何より、兄は弟が仕事ばかりに精を出すのを嫌がる。本当は今だってすぐにでも軍部なんか辞めさせたいと思っているのだ。

 

「もういい?そろそろ戻らないと、さすがにみんな心配するだろうし。」

アルフォンスが時計を見、立ち上がろうと身体を起こす。しかしエドワードがそれを留めた。息がかかるほどに近く、顔を寄せる。

 

 

「・・・・・・・・・何で、さっき断った?」

「え・・・?」

耳元で囁くような兄の声に、アルフォンスは微かに身体を震わした。

 

 

「俺はお前の下で働いてもいいって、思ってんのに・・・。」

 

 

身体を少し離して、エドワードは弟を真正面から見据えた。

冗談などではない、滅多に見せることのない真摯な眼差し。

 

 

数秒の沈黙があって、先に目を逸らしたのはアルフォンスだった。

 

「・・・さっき言った通りだよ。僕にはあなたが、必要じゃない。」

そんなの分かってるくせに、何でわざわざ聞くの、と小さな声を苛立たせる。

「アル・・・。」

エドワードが無意識のうちに伸ばしかけた手を、アルフォンスは避けるようにして立ち上がった。

 

 

「・・・・・・今のままでいいんだ、僕は。だからこれ以上、踏み込まないでよ。お互い辛くなるだけでしょ?」

最後の方は消え入るような小ささだった。

 

 

睨むような目付きのまま、猫を拾い上げたアルフォンスはエドワードの側を通り過ぎる。

 

背中越しに弟が遠ざかっていくのを感じながら、エドワードの口元には自然と笑みが浮かんできた。

それは自分を卑下するような類の笑み。

そうだ、こうなってしまったのは全て自分のせいじゃないか。それを今更、元に戻したいなんて、虫が良すぎる。

きっかけを作ったのも最初に拒んだのも、全部自分からだ。

誰よりも大切なアルフォンスを傷付けて、今なお苦しめて。

溝は深まるばかりで、もう決して後には戻れない。だからといって先に進むこともできなくて、立ち尽くしたままなんだ。

 

遠ざかっていく靴音が、酷く耳に痛かった。

 

 

 

 

近付いてくる足音にはっとして、中尉は振り返った。

目の前には猫を抱いて微笑むアルフォンスがいる。どうやらすでに話は終わったらしい。二人には背を向けて、ぼうっと空を見上げていたので気付かなかった。

 

「・・・ごめんね、兄さんの我が侭に付き合わせちゃった?」

「・・・・・・いつものことですから。」

遠慮のない中尉の答えに、くすくすとアルフォンスが笑う。

 

「珍しい人だよね、中尉も。あんな人の副官が六年も務まるなんて信じられない。」

まだ笑っているアルフォンスにつられて、中尉も笑みを零す。

そう言われれば、確かによく続いているものだ。自分の前任者の中には、エルリック大佐の性格についていけなくて異動を申し出たものも多くいたとか。

 

 

「・・・中尉みたいな人が、兄さんのとこにお嫁さんに来てくれたらいいのに。」

「ご冗談を・・」

言いかけた言葉を遮るようにして、アルフォンスがすっと近付いてきた。内緒話でもするかのように、口元を中尉の耳へと寄せる。

「冗談じゃなくて、本気だよ。・・・だから、頑張ってね。」

 

甘い言葉を耳元に残して、アルフォンスはふわりと風のように通り過ぎていった。

さすがの中尉も顔を紅くして硬直している。

そこへエドワードがやってきた。珍しく動揺した中尉の姿を見て、むすっとした表情になる。

 

「・・・アルとなに話してたんだよ?」

「・・・・・・これからも、あなたのことをよろしくと頼まれたのです。」

 

中尉はほんの少しだけ嘘をついた。さっきの言葉は、大切に自分の心の中に秘めておこうと思う。

 

エドワードは怪訝そうな顔をしたが、それ以上は聞いてこなかった。

 

 

 

 

**********

 こんなにババーンとオリキャラを出したのは初めてです。何かヤな感じだったらスイマセン。

 あと訳わかんなかったらゴメンナサイ。

二人の間には擦れ違いというか溝みたいなもんがあるのです、多分・・・。

それをこれから書いていきたいな、と・・・。

 

 

 

 

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