現実を知った時、ようやく自分の愚かさに気付いたのだった。

世界が引っ繰り返るような、そんな感じ。

 

降って湧く絶望と、心を引き裂くような切ない痛みとが、あんまりにも辛いものだから・・・。

 

 

蓋、をした。

・・・もう二度と、開かないようにと。

 

 

 

 

――― 溺れてく。 4 ―――

 

 

 

 

清々しい朝日を浴びる廊下に、硬い靴音が響いている。

 

その歩調は乱れることなく一定のリズムを刻んで、本人の神経質さをそのまま物語っているかのようだ。窓からの光が時折、彼の銀髪を煌かせている。

通い慣れた道だから、特に気を引くものもない。時々は宿直の者と擦れ違ったりするのだが、今日は入口からここまで誰に会うということもなかった。安易な人付き合いを好まない彼にとっては、他人に煩わされずに済んだという意味ではラッキーだったとも言える。

 

中央司令部の四階。中庭に面した廊下の角を左に曲がった突き当りが、現在の彼の仕事場だ。

扉を開き、中へと足を踏み入れる。カツン、と朝の空気に靴音が響いた。

 

まだ就業時間にはたっぷりと余裕があるため、勿論誰も来ていない。残業でもない限り、朝一番にこの部屋へ足を踏み入れるのは、常に彼――ルイス・アリエル大尉――だった。

長身の細い身体を持ち、眼鏡の奥の切れ長の瞳は、いつも冷静に辺りを観察している。ポーカーフェイスを装うその口元は大抵引き結ばれたままで、同僚たちは大尉の笑顔なんぞ滅多に見たことがない。短く切り揃えられた銀髪は癖もなく、整った顔立ちを一層知的に見せていた。

そんな大尉と、こちらもまた見事な金髪を持つ彼の上司とが一緒にいる場面などはどうやら絵になるらしく、ある同僚などはそれを見るにつけ、“並んでると金と銀とでゴージャスですよね”などと感想を述べる。

 

大尉は自分の席へと荷物を置き、その上司の机へと足を向けた。

まるで本人の性格をそのまま表すかのようにきちんと片付けられた机の上は、例のアノ人とは正反対だ。何度か用事でアノ人の部屋を訪れたことがあるが、いつ見てもぐちゃぐちゃで、何がどこに置いてあるのか見当もつかない。

それに比べて自分の上司は誰が見ても分かりやすいようにしてくれるから助かる、なんて話をしたら上司は苦笑を零していた。それからややあって、あれは本人がどこに何があるのかちゃんと把握しているから構わないのだと付け足した。要は、大したことのない見た目の問題なのだと。上司はいつもそうやって微笑んで、自分の兄に対してあれこれ注意はするものの、悪く言ったことは殆どない。

 

 

司令部の中でも、色々な意味でエルリック兄弟は有名人だ。

その弟の下に大尉が就くことになってから、もう五年の年月が過ぎた。今いる六人の直属の部下の中では一番付き合いが長い。

当初は自分より二つも年下の奴の部下になるのかとうんざりもしたが、今では心底幸運だったと思っている。何せ頭の良さは勿論のこと、戦闘能力や人柄だって尊敬に値するし、国家資格は持っていなくても錬金術の実力は軍でも五本の指に入るだろう。上司としては申し分ない。そんなこと、恥ずかしくて本人には言えないけれども。

最初は年下に対するちょっとした親しみだったように思う。今でも十分に童顔なのだが、出会ったばかりの頃は一層あどけなさばかりが目立っていて、こんな子供みたいな人が軍部なんかでやっていけるのかと単純に心配もした。まぁ、そんな心配は無用だったと、すぐに身をもって実感することになったのだが。

 

大尉は上司の机の上の書類を手に取り、自分の席へと着く。それから、書類を注意深くチェックし、必要ならばメモや資料を添えていく。それが、大尉の朝一番の仕事だ。

しかし本人にとっては、それが仕事だというような意識はあまりない。元々は大尉が自らやり始めたことで、上司がそうしてくれと頼んできたものではないのだ。

自分の仕事は自分で片付けるのが当たり前だと思っている人だから(しかし、他人の仕事に関しては進んで手伝おうとする)、あれこれ忙しい時にでも無理をしているのではないかといつも心配だった。そこで大尉が考えたのが、上司に回ってくる仕事を事前にチェックして下準備をしておき、なるべく効率よく処理が出来るようにしておくということだ。

それでも他に極秘の仕事を抱えていたりするから、大したことは出来ていないというのが事実だろう。少しでもその負担を減らしたいと思いはするものの、結局は単なる自己満足なのかもしれない。けれどもそういう気持ちは本人にちゃんと伝わっているようだから、それはそれで構わないと思う。気持ちだけでもありがたいと、今まで何度礼を言われたことか。

こういうことは前日にでも済ませてしまいたいのだが、なるべく部下が定時に帰れるようにと腐心する上司の前で一人残業するなんてことは出来ないし(けれども、上司は部下を帰した後でしょっちゅう残業しているから困ったものだ)、だから朝早めに出勤してそれをこなすというのが、いつの間にか大尉の日常になってしまった。

作業を終えて書類を机へと戻す頃には同僚たちが出勤してきて、にわかに室内が騒がしくなる。それから時間ギリギリになって、ようやく上司が姿を現す。それが、この部屋での毎朝の流れだった。

 

常に時間には余裕を持って行動している人だが、朝だけはいつも遅刻スレスレだ。

セントラルの中心街から外れた場所に住んでいるのだから、すぐそこの軍の寄宿舎住まいの自分などより時間がかかるのは仕方のないことだろう。

しかしエルリック大佐の場合、どうやらその距離だけが原因という訳ではないらしい。

毎朝一緒に来ている、というよりも大佐が連れて来ている兄の方が、いくら急かしても駄目なのだと、いつだったか愚痴っているのを聞いたことがあった。先に家を出られては、と返すと、置いていったりしたらそのまま来なさそうで怖いから、とのこと。それに納得してしまった自分もどうかと思ったが、うんざりした声のトーンに反して上司の口元が緩んでいたのを覚えている。

 

 

同僚たちが全員揃った後でガチャリと扉が開き、今日も一番最後にアルフォンス・エルリック大佐が姿を現した。それぞれに挨拶をしながら、自分の席へと向かう。

 

「あっ、リジー少佐。」

「は、何ですか?」

大佐からの呼びかけに、リジー少佐は彼女らしい笑顔全開で答える。軍人らしく細くても鍛えられた身体を持ち、女性といっても戦闘能力は確かなものだ。性格もサバサバしていて人好きがよく、この部屋のムードメーカー的存在でもある。自分より八つも年下のアルフォンスを、上司というよりはまるで弟に対するように接して可愛がっている。

 

「昨日の会議はどうでしたか?」

「は、特に問題はありませんでした。しかしあのような堅苦しいところは、やはり性に合いませんね。」

うーん、と顔をしかめるリジー少佐に、向かいの席のステラ少尉が横槍を入れる。彼はアルフォンスよりも二つほど若く、明るく素直な性格は非常に親しみ易い。

 

「リジー少佐には会議とか似合わないっスよね。あんなところより、現場で暴れてる時の方が何倍も生き生きしてますもんね。」

へらんとした顔でステラ少尉が同意を求めるようにこちらを向いたが、朝っぱらから面倒に巻き込まれるのは面倒だったので返事は返さない。案の定少尉は、数秒後には見事なヘッドロックをかまされていた。

 

「あんたね、このあたしがただの戦闘好きの馬鹿だって言いたい訳?自分だって脳ミソ空っぽで射撃にしか能がないくせに!」

「うっ、少佐、ギブ・・・!!」

・・・何というか、素直さゆえの口は災いの元、といったところか。本人に悪気はないのだから改善も難しく、二人は同じようなやりとりを何度も繰り返している。リジー少佐にいたっては、もはや少尉で遊んでいるといっても過言ではない。

さり気なく上司の様子を窺うと、いつもの様子でそれを見守っていた。

 

「二人はホントに仲良いんだね。」

と、他の部署なら注意でもされるだろう場面でそんな感想を零している。それはそれでどうかと思うのだが、まともに見えて結構ズレている人なんだとこういう所で改めて実感する。

 

エルリック大佐は部屋の一番奥の席に着いて、鞄の中からいくつか書類を取り出した。窓から差し込む朝日が、逆光気味にその髪を煌めかせている。自分もよく、男でありながら綺麗な銀髪だと言われたりするのだが、やはりこの人の金髪には到底及ばない。

 

「あれ、アリエル大尉、今日の分はこれだけですか?」

先ほど机に戻した書類の束を持ち上げて、アルフォンスが尋ねてくる。

その口調は、上司と部下の会話にしては少し妙だ。部下に対して丁寧語で、そのうえ心地良い親しみが感じられる、なんて。

 

エルリック大佐は初めて会った頃からそういうスタンスで、最初は随分戸惑った。けれど今では、この人はそういう人なんだと理解している。そしてそれが、大佐の美徳の一つでもあるのだと。

階級など関係無しに年上には丁寧で、分け隔てなく誰とでも快く接することができる人なのだ。タメ口なんかは親しい年下の部下との間でしか聞いたことはないし、ましてや命令口調なんて皆無だ。

・・・と思っていたら、一人だけ例外を思い出した。

 

そうだ、例の・・・アノ人。

 

 

「非番明けに仕事が溜まっているなんてお嫌だろうと思いまして、昨日の内にこちらで出来る範囲で処理しておきました。」

「そうですか、いつもすみません。」

「いえ、部下としては当然のことです。そちらは大佐のサインが必要なものばかりですが、他にも内密に仕事を抱えているようでしたら、そちらの方を優先して頂いても結構です。」

「あ、はい。じゃ、そうさせてもらいます。」

 

いつものように微笑をこちらに向けてから、アルフォンスは厳重そうにしまわれた書類を出してさっそくそれに取り掛かった。

そんな様子を見ていると、昨日はちゃんと休んだのかと心配になる。家でも仕事の続きをしていた、なんてことだったらどうしようか。

仕事も程ほどにしなければ体が持ちませんよと、今度さり気なく注意をしておこう。

そんなことを心に留めながら視線を戻すと、じっとこっちを見ていたリジー少佐と目が合った。

 

「・・・何か?」

「イヤ、昨日はいつもより二割増しで頑張ってるなって思ったんだけど、あれってアルの分だったの?」

「少佐、何度も言いますけど、上官を愛称で呼ぶのは止めて下さい。」

「別にいいでしょ、この部屋の中だけなんだからさ。それに、アルだって好きなように呼んで良いって言ってたし。」

 

どうだ、と言わんばかりの不敵な笑みだ。毎度毎度注意するものだから、いつの間にやら本人からお墨付きを貰ってきたらしい。

まぁ、呼び名にこだわるような人ではないし、むしろそれが親しさの証にでもなるのなら案外喜んでいるのかもしれない。

なるべく自分の部下には堅苦しい思いをして欲しくない、なんて大真面目に考えているような人だから。

 

「アリエル大尉ってさ、見かけによらず結構熱い人なんだね。それって別に出世したいとか、下心がある訳じゃないんでしょ?」

「そんな下らない物、ありませんよ。大佐は少々働き過ぎているところがありますから、少しでも負担を減らせたら、と。」

「へぇ。でもそれって、アルのこと好きじゃないと、いくら部下だからって言ってもなかなか出来ないことだよねぇ?」

「・・・・・・リジー少佐。一体何を言わせたいのですか?」

多少眉間に皺を寄せて問いかければ、あははと屈託のない笑みが返ってきた。

 

「いやね、大尉はアルのことどう思ってんのかなっていうのが気になっちゃって。」

「何故急にそんなことを?」

「実はさ、昨日違う部署の友達と飲みながら、ソイツの上司の愚痴に付き合ってあげてたの。んで、あたしはいい上司に恵まれてて羨ましいって言われたのよ。」

「あぁ、それなら自分もよく言われますよ。」

 

口を挟んできたのはステラ少尉だ。元々喋るのが好きな性格らしく、話に花が咲いているような場面では、必ずと言っていい程その顔がある。

 

「最初は大佐って凄すぎて近寄りがたかったんスけど、今は本当にいい人の下で働かせてもらってるなって思いますね。」

「うんうん、確かに。あたしも前の上司は偉そうな態度の人であんま好きじゃなかったけど、アルは可愛くてしょうがないもんねぇ。」

「少佐って、大佐のことすごい好きっスよね。いっつも大佐に構ってますし。」

「そりゃそうでしょ。こんな顔も性格も頭もいい人、なかなかいないしね。あんたもアルのこと好きでしょ?」

「そっスね。自分も大佐のこと好きっスよ。大佐の立てた作戦とかだったら、安心して任務に当たれますしね。」

「うん、うん。・・・あ、そだ!ハリウェル中佐もアルのこと好きですよね?」

 

リジー少佐が問いかけたのは、隣に座るハリウェル中佐だ。がっしりと鍛えられた体躯を持ち、それでいて国家資格はないもののある程度の錬金術が使えるという頼れる存在だ。

普段は無口な人ゆえにあまり会話には参加してこないのだが、さっきまでの流れは一応聞いていたらしく、すんなりと頷いた。

それを見て、少佐が嬉しそうに笑う。

 

「じゃあ、後はアンジーとロランか。・・・あ、ちょうどいい所に!」

そうして次に声をかけられたのは、資料を抱えて戻ってきたばかりのアンジー中尉だ。目付きも態度も口も悪いのに、その面倒見の良さで後輩からは慕われている、という少々癖のある人物だ。

 

「・・・朝っぱらから何の用?」

「アンタね、いくら同期だからって、階級は違うんだからもうちょっと言葉遣いってもんがあるでしょ?」

「あー、はいはい。んで、結局何なの?」

どさりと資料を下ろして、中尉が席に着く。そのぶっきらぼうな物言いを、本人は直すつもりがないらしい。彼との付き合いが最も長いリジー少佐は、諦めたように肩をすくめる。

 

「まぁいいや。本題は、アンタがアルのこと好きかって話よ。」

「はぁ?フツーに好きだけど?」

「あ・・・、そうなの?意外とあっさり認めるからびっくりしちゃった。」

 

目をぱちくりさせる少佐に、中尉は面倒くさそうに資料の束を渡す。

その様子をなんとはなしに見ていたら、自分の所にも資料が回ってきた。手渡されたそれを頼んだ覚えはないのだが、ちょうど必要なものだったのでありがたく受け取る。一応礼は述べたものの、返事は返ってこなかった。

こんな具合に、いつもこちらが必要なものがどうして分かるのだろうと尋ねたことはないけれど、時々アンジー中尉には第六感があるのではないかと思ってしまう。自分は決して、霊的なものを信じる性質ではないけれども。

 

「んー、ということは、後はロランだけか。・・・あれ、今日って休みだったっけ?」

少佐はまたもや少尉に話しかけている。

「午前中は外回りっスよ。」

「そっか。・・・でもあの子は聞かなくたって、アルのこと好きに決まってるわよねー。」

「そっスね。いつもエルリック大佐のような錬金術師になりたいって言ってますもんね。」

 

二人は納得顔で頷き合っている。

今話題に上っていたのはロラン准尉のことで、この部屋の中では最年少の青年だ。士官学校をその年の最優秀で出ただけのことはあって、文武両道といったところか。錬金術も多少使えるらしいが、そちらに関してはエルリック大佐曰くセンスが微妙らしい。まぁ、それはそうと。

 

「で、結局は何なんですか?」

回り道をするように結論の見えない話の流れを不審に思ってこちから水を向けると、少佐が待ってましたとばかりに身を乗り出す。

 

「ほら、こうしてみるとあたし達ってみんなアルのこと好きじゃない?残りの大尉はどうなのかなっていう話よ。」

「はぁ・・・。それは尊敬もしていますし、好きと言えば好きですけれど。」

その答えを聞いて、リジー少佐の顔がぱぁっと輝く。一体何なのだろうか、コレは。いささかワザとっぽいのは気のせいではないだろう。

 

「ねぇねぇ、少尉聞いた?あたし達って皆アルのこと好きなんだって。」

「そりゃ、当然っスよ。こんないい上司はなかなかいませんからね。」

 

そうやって二人が盛り上がる中、こっそりと話題の中心人物の方へと視線を向けると、分かりやすい様子で俯いていた。この距離で、しかもリジー少佐の声は大きいから、聞こえていないはずはない。

しかしながら、このような会話を耳にして、何を思うものなのかは未知数だ。少しでも喜ばしく思ってもらえるのなら、こんな雑談にも貴重な仕事の時間を割いただけの価値はあるのだが。

 

「あのー・・・」

 

その声をきっかけにして、全員が申し合わせたようにそちらを向いた。視線を浴びる我らが上司は、控えめに右手を上げていて、その表情は困惑気味と言ったところか。

 

「あの・・・そういう話は、出来れば本人のいないところでやってもらえると、ありがたいかな、なんて思うのですが。」

 

そのらしくない歯切れの悪さは、どうやら照れからきているらしい。いつにも増して頬の赤みが際立っているようだ。

 

「いやですね、大佐。大佐に聞かせたいからこんな所で喋ってるんですよ。分かりました?あたし達はみんな大佐のことが好きなんですからね。そのことを大佐にもちゃんと知らせておかないと、と思いまして。」

「はぁ。」

「大佐も、勿論あたし達のこと好きですよね?」

「あ、はい。」

 

コクコクと頷いてアルフォンスが答える。というか今のは、否定なんてありえないとでも言いたげなリジー少佐の迫力ある笑顔に圧されただけの様な気もするが。まぁ、自分の部下を嫌うような人ではないから、本音だとは思うのだが。

 

「そうですか。あたし達って両思いなんですね。」

「あ、えと、そうみたいですね。」

 

フフと笑う少佐は上機嫌だが、大佐の方は嬉しそうなもののまだ困惑気味だ。どうしたものかと、こちらを視線で窺っている。

少佐が話し始めるといつもこんな感じだ。本人は自己完結が激しくて、フォローを入れないと肝心な所が伝わらないなんて事がしょっちゅうある。

毎回毎回面倒だとは思うのだが、どうにも放っておけなくて結局口を挟んでしまう。

 

「リジー少佐、上司と部下の仲が良いのはいいことですが、それを何故改めて確認などしたのですか?」

「あぁ、昨日は大佐、休みだったでしょう?」

「はい。」

「何か、大佐がいないと寂しいなって。」

「はい?」

「この先もずっと大佐の下で働きたいなぁって、思ったの。」

「はぁ・・・。」

「だから大佐には、あたし達がどんなに大佐のこと好きかってことをしっかり理解してもらって、安心して背中を任せてもらいたいなって思った訳よ。」

「・・・仕事中にそんなことを考えてたんですか?昨日はやたらボーっとしてましたけど。」

「だから、サボってないって言ったでしょ?あたし達の絆を深めるためにはどうしたらいいかと考えていたのよ。」

 

リジー少佐は、やりきったといった顔で満足そうに頷く。正直、あんな雑談にそこまで深い意味があったとは驚きだ。

 

「だから大佐、あたし達いつでも大好きな大佐のためなら何でもしますからね。遠慮なく言ってくださいね。」

 

皆いつの間にか仕事の手を止めていて、僅かな沈黙が流れる。

 

「大佐、返事は?」

「あ、はい。・・・ありがとうございます。」

 

驚いたまま固まっていたアルフォンスが、慌ててペコンとお辞儀する。顔を上げると、そこにはまるで花がほころぶような笑顔が咲いていた。

 

「僕はまだ二十六歳だし、頼りない所もあるかもしれませんが、これからもよろしくお願いしますね。」

 

大佐があまりにも嬉しそうな顔で言うものだから、一瞬見とれてしまった。

そして誰からともなく笑顔が零れて、軍の司令部とは思えないほど和やかで温かい空気に包まれる。

 

その余韻にほんのり浸っていると、ゴンゴンと乱暴なノックが聞こえてきた。

次の瞬間にはもうドアが開かれて、返事も待たずに金髪の青年が入ってくる。

そんな風に気安く訪ねてくる人物は一人しかいない。

 

そう、言わずと知れた、例のアノ人。

 

「・・・あんたらさ、そんなこっぱずかしい話、よくこんな所で出来るよな。」

呆れたような表情を浮べたまま部屋を横切って、エドワードは自分の弟の方へと歩み寄る。

 

「・・・何?兄さん、盗み聞きしてたの?」

アルフォンスから零れた声は、氷点下並みに冷えていた。それで己の失態気付いたのか、エドワードの目が泳ぐ。

「べ、別に盗み聞きしてたわけじゃねぇよ!最後の方が聞こえてきただけなんだって。ほら、リジー少佐の声ってデカイからさ!」

その答えにアルフォンスはふうん、といかにも納得できなさそうに顔をしかめている。

 

 

「エルリック少佐。」

 

呼びかけたのはアンジー中尉だ。その顔には、いやに余裕のある笑みが浮かんでいる。

「さっきからずっと、扉のすりガラスのところに影が映っていましたよ。」

 

それを聞いて、エドワードは盛大に顔をしかめる。リジー少佐に至っては、堪え切れなくなったのか、声をあげて笑い出してしまった。

「アハハ、それが盗み聞き以外の何だっていうのよ!」

「・・・しょうがねぇだろ。何か大事そうな話してたから、入るタイミングを逃したんだよ。」

「もう、だったら嘘なんか付かないでそう言えばいいのに。」

アルフォンスが呆れたように溜め息を吐く。こんな様子を見ていると、まるで兄弟の立場が逆に見える。

 

「それより早く帰りなよ。仕事の邪魔だから。」

「お前なぁ・・・。俺が毎回用事も無いのに来てると思ったら大間違いだぞ。」

「あ、そう。で?」             

「この間のヤツ、これでいいか?」

 

ポケットから折り畳んだ紙片を取り出して、エドワードが小声になる。

 

「そうだね。後はこれを清書して中将に出せば・・・」

「なぁ、ソレ俺がやってもいいか?」

「駄目。兄さん中将相手だとホントに字が汚いんだもん。」

「ンなことねぇよ。ギリギリ読めるように書いてるし。アレで読めねぇのは、アイツが無能だからだろ?」

「だから、そのギリギリのラインが際ど過ぎるんだってば。」

「じゃあ普通に書くから、アルが提出しに行ってよ。」

「えぇ?そこまでするなら自分で行けばいいでしょ?」

「アイツとは、なるべく顔を合わせたくない。」

「あそ・・・。ならいいよ、清書も僕がするから。」

「それはいいって。アル忙しいから俺がやるし。」

「・・・分かったよ。じゃ、もう用事済んだでしょ?早く帰りなよ。僕、今から会議あるし。」

ちらりと時計を確認し、アルフォンスは荷物をまとめ始める。

 

エドワードは不服そうな表情を浮かべたものの、渋々といった足取りでドアへと向かった。

しかしすぐに、あ、そうだと言って踵を返し、大佐の側まで歩み寄る。それから、座ったままのアルフォンスに合わせてその身を屈めた。

エドワードは弟の耳元に唇を寄せて、一言か二言。そんなに長いものではなかった。

すると、大佐の表情が見る見るうちに変わっていく。いさめる様なしかめっ面が毒気を抜かれたようにポカンとなって、最後には必死に隠そうとしていたけれども嬉しそうな笑みが浮かんでいた。

 

アルフォンスは元から人当たりの良い人だから、彼の笑顔を見るのは珍しいことではない。しかし今のは、それとは違う。もっと特別な顔だ。

例えばあの二人が仕事を忘れて、プライベートに戻った瞬間にしか見られないような類の。

 

大佐は器用で繊細な人だから、大尉でもその違いに気付くまでは随分とかかった。そしてその違いを本人が意識しているのかさえもが曖昧な程に、些細な変化でしかない。

しかしその僅かな差が、大尉には酷く重要なことに思えるのだった。

 

エルリック少佐は満足そうな顔をして大人しく退散し、それを見送ってから会議に行くべく席を立った大佐は普段と変わらないように見えてやっぱりどこか嬉しそうだった。

 

その会議には大尉も参加することになっていたため、二人で一緒に会議室へと向かう。

その途中、珍しく人通りが途絶えた廊下を歩いていると、さっきから気になっていたことが不意に口をついて出た。

 

「・・・大佐、一つお聞きしてもよろしいでしょか?」

「?何ですか?」

「・・・いえ、やはり結構です。大佐のプライバシーに関しますので。」

「え、別に構いませんよ。答えられるかどうかは、内容を聞いてから決めますから、遠慮なくどうぞ。」

 

アルフォンスはにこりと、例の笑みを作る。そういう顔をされると、ついつい言葉が素直に出てきてしまうから不思議だ。

こうやって、相手を引き込むのが上手いのだ、この人は。それを本人が自覚しているのかどうかは分からないが。

 

「・・・先程、エルリック少佐は何を仰ったのですか?」

「あれ、そんなことですか?」

アルフォンスがほっと息を吐く。どうやらもっとすごいことを訊かれるのではと身構えていたらしい。

 

「あれは、あなた方のことについてですよ。」

「はぁ。」

「“良い部下を持って幸せだな”、って言われたんです。」

「・・・あの少佐が、そんなことを。」

「ねぇ、ビックリしちゃいますよね。・・・でも、やっぱりこの人は僕の兄なんだなあって思いました。」

「そうですね。・・・普段は逆に見えますけれど。」

真面目な顔でそう言うと、大佐が可笑しそうに笑みを零す。

 

「・・・・・・大佐は、先程の私共やエルリック少佐の言葉を聞いて、嬉しいとお思いになりましたか?」

「当然です!皆、僕のことをいつも気にかけてくれて、信頼してくれて、本当に嬉しいし感謝しています。」

「・・・そうですか。今日は大佐のお気持ちが窺えて本当に良かったです。」

「いえ、こちらこそ。」

 

ふと、会話が途切れて、二人分の靴音だけが廊下に響いた。

 

 

「・・・・・・大尉が僕に初めて会った時、本当はがっかりしたでしょう?」

「・・・それは、正直に答えてもよろしいのですか。」

「勿論。」

「・・・・・・そうですね、がっかりはしませんでしたよ。何せアノ有名な方の弟ですからね。兄に劣らず、実力は確かなのだろうと思いました。しかし、性格が似ていないことを祈りましたが。」

「あはは・・・。」

「実際に会ってみると、やはり驚きましたね。あの頃のあなたは、十五歳かそこらにしか見えませんでしたから。」

「そ、そうだったんですか・・・。それは、ちょっとショックですね。」

 

どうやら落ち込んでしまったらしい大佐を見て、今でも二十歳くらいにしか見えませんが、という言葉を飲み込んだ。

 

「とても、幸運だったと思っています。あなたの部下になれたことを。」

「ホントですか・・・?」

「ええ。今も、あなたの部下でいられることを、幸運に思っていますよ。」

「・・・じゃあ、これからも付いて来てくれますか?」

「勿論です。」

「ありがとう、大尉。」

「いえ。さあ、着きましたよ。」

「はい。」

 

こくりと頷いたエルリック大佐は、すでに仕事の顔へと戻っていた。

 

大尉は静かにその背に従う。それから、心の中でそっと言葉を付け足した。

 

 

 

そうやっていつでも一生懸命なあなたのことを、私共部下一同は、いつだって大切に思っていますよ。

 

 

 

 

**********

 何でこんなに長くなるんだろう?ホント不思議です。

 4でやろうと思ってたエドとアルの会話まで辿り着けず、結局5に持ち越しです。前フリ、長っ!

 まぁ、アルがどんだけ部下の人達に愛されてるかってのが書きたかったのです。

 皆に愛されるアルでいて欲しいですね。兄さん限定で、本当ツンデレみたいになりますけど。

 アルは自分の仕事部屋でだけは兄さん、と呼んでます。他の所ではエルリック少佐。

 エドはいつでもどこでも、アルです。

 

 

 

3  *  novel top  * 5