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行く先のない、恋だ。
だから自分で、終わりを作った。 ここでもう、おしまいだよ、と。
行く先のない、 終わりのない、 果てしなく、 とめどない、 枯れることのない、 心が泣き叫ぶような想いを、
抱えたまんまで。
あぁ、これでおしまいだなんて、偽善もいいところだと、もう一人の自分が嗤っている。
――― 溺れてく。 5 ―――
「あーぁ、めんどくせぇな・・・。」
はぁ、とエドワードは溜め息を一つ。今朝から一体何度目だろう。
自分が今立っているのはフロントの側ということもあり、結構な人が行き来している。 しかしその中に、待ち人の姿はまだ見つからない。 約束の時間はすでに15分も過ぎている。 仕方がないのでまた溜め息でも吐こうとした時、懐かしい声が自分を呼ぶのが聞こえてきた。
「エードー!ごめん、お待たせ!」
その声に振り返ると、言葉とは裏腹に悪びれた様子など微塵も見せない幼馴染みが立っていた。ご丁寧に見事な笑顔まで浮かべている。
「おいコラ、ウィンリィ!十時に迎えに来いっつったのそっちだろ?今何時だと思ってんだ!」 「ごめーん。今日の迎えはアルじゃなくてあんただから、気ぃ抜いてた。」
アハハとウィンリィは笑っている。いくつになってもコイツには敵わねぇなぁと、諦め半分で苦笑を零す。
「はい、これ。」 ウィンリィが笑顔で差し出してきたのは、彼女の商売道具が入った工具箱だ。
「は?」 「だから、持ちなさいよ。」 「俺が?」 「当たり前でしょう。気の利かない男ね。」 だからアンタはモテないのよ、と呆れ顔だ。
「アルなんか、頼みもしないのに持ってくれたわよ。」 そう言いながら、土産物やら買い物袋やらを次々と渡される。両手が一杯になるまで遠慮がない。
「お前、こんなによく買えたな。」 「一昨日、優しいアルが荷物持ちしてくれたからね。何だかデートみたいで楽しかった。」 ふふと上機嫌に笑うウィンリィとは対照的に、エドワードはまた一つ、溜め息を零したのだった。
本来、今日は出勤日であるはずの彼がなぜ、ウィンリィに付き合っているのかというと、そのきっかけは昨日のとある会話までさかのぼる。
その日のエドワードの機嫌は上々だった。
何せ朝っぱらからあのような会話を聞いてしまったのだから、ブラコンの彼ならば、当然自分のことのように嬉しがっても不思議ではない。 その弟に、盗み聞きだとか非難されたけど、そんなことを気にするような柄でもないし。
本当に偶然だった。あのタイミングで弟の執務室へと行ったのは。 部屋の中から声がしたので、扉の前で立ち止まった。その声が何だか気になったので、じっと耳をそばだてた。 アルフォンスを可愛いがっている少佐から順番に一人ずつ、自分の上司への想い――好きだとか信頼しているとか尊敬しているだとかの気持ちを表していく。 エドワードはそれを息が詰まるような心地で聞いていた。そして弟も、同じような気持ちで聞いているのだろうと思った。
自分のこと以上に、嬉しかった。アルフォンスが良い部下を持てたということが。
今でこそ、そこそこの貫禄が付いてきたものの、入隊したばかりの頃のアルフォンスはその可愛らしい容姿とまだ若い年齢のせいで、なめられたり要らぬそしりを受けたりしていたのだ。 それを知っているからなおのこと、部下が向けてくれる好意にあんなに嬉しそうに笑ったアルフォンスの気持ちが、エドワードにも痛いくらいによく分かったのだ。
その後、弟は照れ隠しするようにそそくさと会議に行ってしまったが、そこには肩肘張らない素のままのアルフォンスが確かにいた。最近では珍しくなった表情だ。
とまぁ、そんなことを考えながら仕事を片付けていると、気分が良いせいか今日の予定の分が昼過ぎには済んでしまった。 最後の書類にサインをし終わって、カツンとペンを机に置く。 そんな小さな音にも気が付いたのか、自分の仕事をしていたハディス中尉の顔が上がった。ぱちんと目が合う。
エドワードは大抵自分のことに集中し始めると周りのことなど見えなくなってしまうのだが、中尉はいつも周りをよく見ている。だからきっと、丁度バランスがいいのだろう。 そしてそれは、自分と弟の関係にも言えることだ。
そんなことを思いながら、ふっと頬を緩める。大概キツイ顔をしている彼が、時折見せる必殺技だ。
「なぁ、今日の分片付いたし、休憩してもいい?」 「・・・・・・駄目です。」 「ちょっとだけでも?」 「・・・駄目です!大体それは、本来なら一週間前に済んでいるはずのものなんですよ?他にもまだこんなに溜まっているんですから、さっさと片付けてください。」
中尉から問答無用で渡された書類の束は、結構な厚みだ。あれ、こんなに溜めてたっけと表情を歪めて、ぱらぱらと捲ったところでいいものを見つけた。エドワードはニンマリと頬を緩める。 ソレを束から引き抜いて、さっさと中身のチェックをし、サインをする。 ガタンと椅子から立ち上がり、扉に向かって駆け出した。
「じゃあ中尉、この書類にサインもらいに行ってくる!」
楽しげな声を残して、扉はパタンと閉じられた。
不意をつかれた中尉は立ち上がるのが精一杯で、まんまと上司を逃がしてしまった。 しかも去り際のあの嬉しそうな顔といったら、こちらももう笑うしかない。
願ってもない口実を手にしたエドワードは、今度はコンコンとノックをした。 またしても弟の機嫌を損ねるのは得策ではないし。
部屋に入ると、アルフォンスはうんざりしたような顔になった。なのでこちらは、とびきりの笑顔を向ける。
「アルー、これにサインして。」 手にした書類をぴらぴらさせて、アルフォンスの席まで赴く。
「・・・ちょ、これ、随分前に視察に行った時の報告書じゃないか。まだ提出してなかったの?」 「・・・あー、色々あって遅くなった。」 笑って誤魔化そうとするエドワードに、アルフォンスは肩を落とした。その時。
「エルリック少佐。」
硬い声が、自分を呼んだ。 その声に驚いて振り返ると、弟の優秀な副官が姿勢を正してこちらを見ていた。
「少し話があるのですが、よろしいでしょうか?」
そう言って、部屋の隅に置かれた来客者用のソファを示す。エドワードは緊張した面持ちで、コクコクと頷いた。
ソファに向かい合って座る珍しい組み合わせの二人を、周りの者達は興味深げに見つめている。 あのアルフォンスでさえ、仕事の手を止めてこちらの様子を凝視していた。 当のエドワード自身も妙な心持ちだった。こんな風に呼び止められたのは初めてだったし、大体アリエル大尉と会話したことなど殆んどない。 大尉は口を動かしかけて、スイと顔を横に向けた。 「大佐、こちらのことはお気になさらず。」 「は、はい。」 アルフォンスは上擦った声を出した。手を動かしてはいるけれど、その目はしっかりこちらを見ている。まぁ、気にするなというのは無理な話だ。 大尉は再び、正面へと向き直る。
「すみません、少佐。大した話ではないのですが、お聞きしたいことがありまして。」 「はぁ。」 「エルリック大佐のことなのですが、大佐は休日にはちゃんと休んでいるのでしょうか?」 「・・・はぁ?」 「休日にも家で仕事をしているのではないかと、心配になりまして。」 「あー、あぁ、そういうことか。」 ようやく意図が理解できて納得する。大尉は相変わらず、涼しい顔を崩さない。 「ただでさえよく働いているのですから、休みの時はキチンと休んでいただかないと、体に障りますから。」 「んー、昔はやってたけど今は心配ねぇよ。家には仕事を持ち込まないってことにしてるからな、今は。」 そう言うと、あの大尉がちょっと笑ったように見えた。 「それを聞いて、安心しました。」 「休みの日は、そうだな・・・家事したり、野良猫と遊んだりしてるよ。」 「そうですか。ありがとうございました。聞きたかったことはそれだけです。」
アリエル大尉は一礼して自分の席へと戻ると、何事もなかったかのように仕事を再開した。 固まっていた部屋の空気がようやく動き出す。
「・・・なんか大尉、最近アルの保護者みたいになってきたよね。」 ぼそりと零したのはリジー少佐だ。 「何を言っているんですか。上司の体調を気遣うのは、部下として当然のことでしょう。そんなことより、自分の仕事を早く片付けてください。」 「っていうか大佐、休みの日は他に何してるんですか?」 大尉の注意をスルーして、リジー少佐は質問したがりの子供のように手を上げた。そこにステラ少尉が加わる。 「大佐、昨日キレーな女性と歩いてるの見たんスけど、彼女ですか?」 「えぇ、それ本当?」 「はい、美男美女が手ェ繋いで歩いてたから、スゲー目立ってました。」 「わぁー、手を繋いで、なんてラブラブですねー。」
二人が盛り上がる中、エドワードは不安混じりに弟を見た。
アルフォンスは昨日の夕食までずっと、ウィンリィと一緒にいたはずだ。その時のことを今朝、朝飯を食べながら話してくれたから、その手を繋いでいたという女はウィンリィのことだと思う。 けれどもし、もしもそうじゃない、なんてことがありえたら・・・?
だって、アルフォンスが自分の知らない女と手を繋いで歩く可能性なんて、いくらでもあるのだから。
そんな兄の心など知るよしもなく、アルフォンスは笑っている。恐らく、大尉に心配されたのが嬉しかったのだろう。 「彼女じゃなくて、ただの幼馴染みです。なんだか久しぶりに会って、子供の頃が懐かしくなったみたいで、手を繋いでたんですよ。」
エドワードはずんずん廊下を進む。彼の左手は、アルフォンスの手首を掴んだままだ。
「ちょっ、兄さん!どうしたの?」 人通りの無い所へ連れ込んで、ようやく弟を解放した。
「もう、何なの?」 「あ、えっと・・・、さっきの話・・・」 「なに、ウィンリィのこと?」 「・・・・・・・・・。」
そうじゃない。本当に聞きたいのは、そんなことじゃない。 だけど言葉が、出てこなかった。だって自分には、そんなことを詰問するような資格はないのだから。
「・・・お前、ウィンリィと手なんか繋いでたのか?」 「そうだけど・・・?」 その答えに安心する。そうだ、ウィンリィなら構わない。だって二人は、互いに相手を恋愛対象としては見ていないから。
「・・・・・・なに?兄さんもしかして、嫉妬でもした?」 「・・・・・・は?」 「なんだ、だったらそう言ってくれればいいのに!僕だけウィンリィとデートしちゃってごめんね?」 「おい、違うって!」 「じゃ、明日は兄さんがウィンリィとデートしてきなよ!」 焦るエドワードの言葉になど聞く耳持たず、アルフォンスはどんどん話を進める。 「明日は昼過ぎの汽車に乗るって言ってたから、途中でランチでもして駅まで送ってあげればいいよ。」 「ンなこと言ったって、仕事は・・」 「有給休暇、まだ残ってるでしょ?」 「今から許可なんて下りるわけ・・」 「大丈夫!中将に頼んできてあげるから!」
止める間もなく、アルフォンスはマスタング中将の部屋の方へと駆けていった。
そうして、エドワード状況は冒頭へと至るのだった。
元々そんなつもりはなかったし、幼馴染みとは嫌でも整備の度に会っているのだから、わざわざ仕事を休んでまで見送りに行くことはないだろうと、家に帰ってからも弟を説得してみたものの、案外頑固な弟は譲らなかった。 普段なら仕事はさぼるなってうるさいくせに、一体どういうつもりなのかさっぱりだ。 せっかくなんだからいいじゃないか、と何故か嬉しそうな顔までしていたし。
「じゃー、エド!張り切って行くわよ!」 「はぁ?行くってどこに?」 「実は、ばっちゃんへのお土産が、なかなか決まらないのよねー。」 「って、まだ買い物すんのかよ!」 「あれ、そういうつもりだから、アルはエドのこと荷物持ちに寄越したんじゃないの?」 意外そうな顔をして、ウィンリィは首を傾げる。 「・・・・・・・・・アルが何考えてるかなんて、俺が知るかよ。」
吐き捨てるように言った言葉は、少なからず本心を表していた。アルフォンスのことが分からない。分かりたいのに分からないから、不安になるしイライラする。 でもだからって、それで誰を責められようか? いくらエドワードとアルフォンスの距離が近かろうとも、所詮二人は悲しいくらいに、血を分けた他人でしかないのだから。
エドワードは踵を返し、ホテルの玄関扉へと向かう。 「ウィンリィ、置いてくぞ!」 ぶっきらぼうに呼ばれた彼女は、何かを考え込むようにしばらく黙ったままだった。
それから何軒か店を回って、ウィンリィはようやく満足行くものを見つけたらしい。丁度昼時になったので、休憩がてらランチを頬張る。
「んー、一昨日アルと食べた店のもおいしかったけど、ここのもホントおいしい!」 「そりゃ、良かったな。」 「でも、エドがこんなお店知ってるなんて意外だわ。」 「あー、そりゃアルだよ。ここに連れてけって言ったのは。俺はあんま、こういうトコには興味ねぇし。」 そう言うと、ウィンリィは子供の頃のように笑い出した。
「あはは、そりゃそうよねー。ほんと、よく出来た弟だわ。」 その言い草だと、弟が褒められているのか自分がけなされているのか微妙なところだ。相変わらずの遠慮の無い言葉を、ちょっとだけ嬉しく思う。 ウィンリィはひとしきり笑って、ふっと息を吐いた。
「アル、見ないうちにすごく格好良くなってたね。」 「当然だろ、俺の弟なんだから。」 「いや、それ関係なくない?」 ウィンリィのツッコミにはあえて応えず、エドワードはコーヒーを啜る。それから、幼馴染みから見ても、弟は格好良く見えるのかとひとりごちた。
「・・・お前、街中で手なんか繋ぐなよ。」 「えー?別にいいじゃない。そんなちっさいコトにまで嫉妬しないでよ。」 「は?嫉妬なんか・・・」 してねぇ、と続けようとして口ごもる。だってそれは嘘だ。本当は、している。 でも昨日弟が言った意味で、ではない。そのことを、目の前の幼馴染みは分かっている。 けれどもその奥にあるものまでには、さすがに気付いていないだろう。
ウィンリィはジッとエドワードを見つめた後、躊躇いがちに口を開いた。
「アンタさ、そろそろ一人立ちしたら?」 「はぁ?」 「だから、弟離れしなさいってコトよ。」 「なんで・・・」 「だってアルはアンタの弟なんだよ?奥さんじゃないんだからね?いつまでも世話焼いてくれると思ったら、大間違いよ。アルだっていつかは結婚して、子供ができて、・・」 「分かってるよ!・・・でも、俺は・・」
聞きたくない言葉を遮って、ぎゅっと拳を握り締める。 ウィンリィはエドワードの意外な剣幕に驚いたらしく、しばらく二人は黙ったままだった。食器の触れ合う音が、やけに大きく耳に響いた。
「・・・ねぇ、あたしだって、アンタ達の絆の強さは分かってるつもりだよ。ずっと一緒にいたいって思えるなんて、すごいと思うもん。羨ましいくらい。」 「・・・・・・・・・。」 「だけど、アルにはアルの、エドにはエドの幸せってもんがあるでしょう?少なくともアルは、エドの幸せを願ってると思う。今はこれでいいかもしれないけど、アルはちゃんとその先のことを考えて、心配してるわ。だから、あんな話を・・・」 「・・・は?アルが何を・・・」
エドワードはハッとして、俯いていた顔を上げた。ウィンリィの複雑そうな顔が目に映る。
「・・・・・・ま、冗談だったのかも知れないけど、アルがね、聞いてきたのよ。あんたと結婚する気はないかって。」
「・・・・・・俺と?誰が?」 「あたしよ。」 「・・・・・・俺と、お前が?」 「そう。」 「・・・・・・結婚?」 「そうだって言ってんでしょ!理解力の無い男ね!」 「・・・・・・うわー、ありえねぇ。」 「あら奇遇ね、あたしも同感。」
ウィンリィはミルクティーに口を付け、カチャリとカップを元に戻した。エドワードは眉間に皺を寄せる。
「・・・アルは、俺とお前を結婚させたかったわけ?」 それで、なのだろか。弟がこのデートとやらを企てた理由というのは。
「うーん、別にあたしじゃなくてもいいと思うけど、誰か、安心してアンタを任せられる人を、探してるんじゃないかな?あの子もなんだかんだで、アンタのことが自分のことより大事だから、エドが幸せになってからじゃないと、自分は幸せになれないとか考えてるのかもね。」 「・・・・・・・・・。」 「ま、早くいい人見つけて幸せになって、アルを安心させてあげなさいよ。」 「・・・・・・そうだな。」 曖昧な返事をしたエドワードは、大人びた笑みをひとつ零した。
早く家に帰り着きたいと、いつでも心ばかりが急いている。
けれども身体は天邪鬼で、寄り道ばかりに精を出す。 こんな夜は、特に。
昼過ぎにウィンリィを駅まで届けた後、エドワードは真っ直ぐ家に帰る気になどならなくて、そのまま古書店を巡ったりしながら時間を潰した。 夕暮れ時になって、今朝弟が言っていたことを思い出す。 今日は遅くなるから、夕食は一人で食べてね、と。
それを思い出した途端、家に帰ろうなどという気は萎えてしまった。 あの家で、一人っきりで食べる夕食がどんなにまずいかを、弟は知らないのだろうか。
辺りが薄暗くなると共に、エドワードの足は自然と花街の方へと向かっていった。
寂しいからという子供じみた理由で、一晩の食事相手を金で買うことにはもう慣れてしまった。
最初は感じていた罪悪感や後ろめたさも、あれこれと理屈をつければ薄れていく。 そうだ、目的は女が抱きたいから、じゃない。彼にとってこれは単なる慰めだ。 だから大抵は話し相手になってもらって、時々は溜まった性欲を処理してもらう。 向こうだって商売なのだから、仕事としてきちんと相手をしてくれるし、だからすこぶる都合が良かった。
けれどだからといって一晩中そこにいる、なんてことは滅多にない。夜が更ければ家に帰る。今夜だってそうだ。所詮はこの花街だって、一人きりを避けるための埋め合わせに過ぎないのだから。
行きつけの娼婦宿を出る頃には、もうすぐ真夜中といったところ。 夜の街を歩いていると、体に纏わり付く、自分以外の匂いが鼻に付いた。確か彼女は、今流行の香水だとか言っていた。
自分に纏わり付くそれが、“誰の”なんてことはどうでもよくて、それが“アルフォンスの匂いではない”ということだけが、彼にとっては重要だった。その他のことは、本当にどうでもいいことだ。
誰もいないと分かっている家に、正確にはアルフォンスがいないと分かっている家に帰るのは、いつだって気が引ける。 だから弟が宿直の日には、家には帰らず花街へ向かうか、自分も勝手に司令部に泊まる。 今日みたいに帰りが遅くなるという日には、十分に暇を潰してさすがにもう帰っているだろうという時間を見計らってから、自分もようやく帰路につく。
あの家の中でたった一人きりで弟を待っている時間というものは、きっと恐ろしいに違いない。だから、待つのは嫌なのだ。
自分が弟に“おかえり”なんて言うことは滅多にない。 彼が口にしたいのは、弟の“おかえり”の後に返す“ただいま”、だ。
ようやく家の前まで辿り着いて、エドワードはそっと窓の方を見た。 一階のリビングからも二階の弟の部屋からも照明の明かりは零れていない。けれどポストに夕刊は入っていないから、もう帰宅しているのは間違いない。恐らくすでに眠ってしまったのだろう。
アルフォンスの“おかえり”がないことに落胆しつつリビングに入ると、そこにはひっそりとした人の気配が感じられた。 驚いて目を凝らすと、ソファの上に塊があった。アルフォンス、だ。
「・・・なんだアル、いたのか?」
もう寝てるのかと思った、と小さくエドワードが続けると、しばしの沈黙が流れる。
「うん・・・。中々片付かなくて、遅くなっちゃったから。」
鈍い反応に、いつもと違う声のトーン。もしかして、と側に寄ればやっぱりそうだ。ぐい、と顔を近付ける。
「・・・お前、酒臭い。」 「兄さんだって、香水臭いよ。」 「そうか?」
言われて匂いを嗅いでみる。夜風に当たったから、そんな匂いなんて消えただろうと思っていたのに。 じっとこちらを見ていたアルフォンスが、すうっと目を伏せた。
「・・・前から思ってたんだけど、朝まで一緒にいないのって、相手に失礼なんじゃない?」
一瞬、何の相手・・・と疑問符を浮かべてすぐに、あぁセックスの相手、と思い至る。そんなことを弟が思っていたなんて、今まで気付きもしなかった。
「なんだ、お前は兄ちゃんが家に帰ってくるのが嫌なのか?」 「別にそう言う意味じゃないよ。無理して返ってこなくてもいいのにって思っただけ。」 「別に無理してない。俺は帰りたいから帰ってんの。」
不貞腐れたように返事を返す。その言い草じゃまるで、本当は帰ってきて欲しくないみたいに聞こえてしまう。 でもよく考えれば、そうなのかもしれない。弟は兄を、さっさと結婚させたがっているようだし。
兄の顔が曇ったことに、酔った弟は気付かない。からかうような声は明るい。
「へぇ、知らなかった。兄さんがそんなにこの家気に入ってたなんて。」 「当然だろ?俺の家なんだから。」 「ふぅん、ここが自分の家だっていう自覚あるなら、もっと家事もやって欲しいんだけどね。」 「・・・・・・努力する。」 「まぁいいよ、別に期待してないし。」
本当に期待していないのだろう、アルフォンスはおざなりな返事をして目を逸らした。白い指先が、ローテーブルの上のグラスを捕らえる。 すぐ側の瓶を見れば、かなりキツイのを飲んでいた。それからすぐにハッとする。中身は昨日見た時よりもだいぶ減っていた。
「・・・・・・おいアル、もう止めとけ。今日は飲み過ぎだ。」 アルフォンスからグラスを取り上げて、顔色を窺った。もう殆んど意識がとんでいると言っても過言ではない。 「うん・・・。」 掠れた声で返事が返る。そんな姿を見ていると、兄としての庇護欲が顔を出した。
「あのな、こんなに手のかかる弟がいるから、兄ちゃんは心配で家に帰らざるを得ないの。分かったか?」 「うん・・・。」 「おい、本当かよ?」 ははっ、と苦笑を零す。アルフォンスはとうとう目蓋を閉じてしまった。 エドワードはしょうがねぇなとまた笑みを零して、抱きかかえようと腕を伸ばす。ソファに片足を乗せて、左腕をアルフォンスの首、右腕を両膝の裏へと回した。
「アル・・・・・・」
互いが触れ合った所から、火照るような熱が生まれる。 そういえば、こんな風にじっとりと触れ合うのは久しぶりだった。軽いスキンシップならよくあること。だけど長く触れることは意図的に避けてきた。それは恐らくお互いに。 触れているだけで、何かが零れてしまいそうで恐ろしいから。
「アル・・・・・・」
愛おしさを込めて、呼んだ。 アルフォンスはまるでそれに応えるかのように、コトリと頭をエドワードの胸に預ける。 唇から零れた吐息が、エドワードの熱い肌を掠めていった。肌蹴られたアルフォンスの清潔なシャツから、白い首筋が浮かび上がる。
アルフォンスの温もり、アルフォンスの匂い、アルフォンスの存在感。そのどれもが、愛おしく、そのどれをも、自分のものにしてしまいたい。
家族面をしたエドワードが霧散する。 残ったのは、一人の男としての彼だけだった。
煌々と窓辺を照らす外からの光は、その奥の、ソファの周りの闇をいっそう深くした。 自分達は今、暗闇に守られている。
月明かりはこちらを侵さない。
堪らなく、なった。
ゆっくりとその、白い首筋に顔をうずめる。
肌と唇が触れようとした、その瞬間。 アルフォンスが身じろぎした。
それに驚いて、体を離す。は、と詰めていた息を吐くと、全身から冷や汗が噴き出した。自分は今、一体なにをしようとしていた? 頭の中がガンガンする。警鐘が鳴り響く。
自分は一体、なにをしているのだろう。ハハ、と今度は嘲笑する。
そうだ、キスなんてものは、兄弟でするものじゃない。そんなことをしてしまえば、それは弟に対する最大の裏切りだ。ましてや酔っている相手になんて、最悪だ。
どこまでも愚かな、自分自身に反吐が出る。
********** なんか、久しぶりに書いたせいか色々間違えました。名前とか階級とか。 あと、物語の軸を見失いそうになって危なかったです。最後のトコとか。 昨日まではそのまま行っちゃうつもりだったんですけど、今日、ああこれ駄目だって思いました。なので未遂です。 途中、予定と違う風になっちゃって困ってたのですが、なんか勝手にエドが動いてくれました。 そうか、これがキャラが話を作っていくっていう感覚なのかと、ちょっと感動してみたり。
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