辺りを夕闇が包み始める頃、僕は帰宅の途を急いでいた。

 

はぁはぁと少し息を切らして、見慣れた角を曲がる。自分達の家はもうすぐだ。

すっかり馴染んだ石畳の感触を靴底が捉えて、ようやくスピードを緩める。

 

目の前には、少し古びたアパート。ここが僕達のセントラルでの帰るべき家だ。

僕達の部屋は、二階の左隅。

 

一つ深呼吸をして気持ちを落ち着けてから、僕は思い切ってそこを見上げた。

通りに面した小さな窓からは、明かりが零れていた。今朝確かに締めたはずのカーテンも開いている。

 

僕はそれを、安堵と絶望がない交ぜになった気持ちで見つめた。ついでに泣きたい様な気分にもなって、あぁと乾いた声が零れた。

 

 

・・・自分の帰る家に明かりが点いているというコト。

 

それを僕は、幸せの象徴だと思っている。だってそれは、自分の帰りを誰かが待っているというコトだ。

 

だけど今日ばかりはそんな気分になれない。どうして、なんで、と疑問だけが渦巻いている。

僕は意を決して、アパートの階段を昇っていった。

 

 

 

――― かみさま、ありがとう ―――

 

 

 

鍵の開いていた玄関の扉を乱暴に閉めて、僕は勢いよく兄がいるであろうリビングへと足を踏み入れた。

心の中で渦巻くのは兄に対する理不尽な怒りだった。さっきちょっとだけ感じた安堵感なんて、とっくにどっかへ行ってしまっている。

僕はその怒りを本人にぶつけようと、心の底から不機嫌な声を出した。

 

「ちょっと、兄さん!いるんでしょ?!何で勝手に帰っちゃっ・・・た・・の・・・」

 

言いかけた言葉が途中で止まった。なぜなら、開いた口が塞がらなくなったからだ。

「おぅ、アル!おかえり。」

そう言って兄さんは、これ以上ないってくらいの笑顔で僕を出迎えた。

 

「・・・兄さん、なに・・・これ?」

 

僕は気の抜けた声で、やっとそれだけ搾り出した。多分、今すごい間抜けな顔をしていると思う。でも仕方ないだろう。だってこんなの、予想の範疇を超えている。

 

「どうだ、アル!びっくりしたか?」

兄さんの笑顔が、いたずらっ子のそれみたいになっている。僕の驚いた顔を見て、どこか誇らしげだ。

「・・・した、けど・・・どうしたの、こんなに」

さっきまであんなに重苦しく渦巻いていた怒りはどこへやら、一瞬にして毒気を抜かれたようになった僕はゆっくりと兄さんの方へと近寄っていった。

 

兄さんはダイニングテーブルの側に立っていて、そのテーブルの上には色とりどりの料理が所狭しと並べられている。そしてその真ん中には、ひときわ派手で、でもちょっと不恰好なケーキが鎮座していた。しかも、中央のチョコレートの板にはでかでかと、“アルフォンス、誕生日おめでとう”の文字が存在感を放っている。

 

「どうって、全部俺の手作りだけど。」

何でもない様な声で兄さんが言うので、何故か僕の方が慌てた。これを全部一人で作るなんて、ちょっとやそっとのことでできる訳がない。時間だって、一体いつ作ったというのだろう。兄さんが料理を作っているところなんて、今までほとんど見たことがないというのに。

 

「うそっ!朝は何もなかったじゃないか!」

「そりゃそうだろ。これ作り始めたの昼頃だったし。」

「・・・ってもしかして、昼前から行方不明になってたのって、これの準備のため・・・?」

 

自分で言いながら、パズルのピースがはまっていく様に話が見えてきた。ようやく、今朝からの兄さんの不可解な行動に納得する。

 

 

実は今日、兄さんは昼前から行方不明になっていたのだ。

今朝はいつものように一緒に出勤したのだから、午前中は恐らく司令部内にいたはずだ。僕は兄さんとは部署が違うから詳しいことは分からないけれど、兄さんの部下の話によると朝はちゃんと仕事をしていたという。しかし、ちょっと目を離した隙に姿が見えなくなってしまったらしい。

兄さんのサボり癖は結構有名だから、今回もまたそうだろうというコトになって部下達が手分けして探していたのだが一向に見つからない。いつもなら長くても2時間もすれば自分で戻ってくるのに、今日はそんな気配もない。どうやらただ事ではないらしい、と思い始めた部下が僕のところに来たのがちょうど昼頃だった。それから僕も一緒になって兄さんを探したのだが、結局兄さんは見つからなかった。

 

「あぁ。昼前じゃなくて朝からやってたら、もっと完璧にできたんだけどな。」

悪びれる素振りも見せず、少し残念そうな顔さえして兄さんは言った。その反省感のない態度にカチンときて、僕は思わず声を荒げた。

本当に勝手なことばかりして人に迷惑ばっかりかけて、僕がどんな気持ちで今日一日を過ごしたと思ってるの?

「だからって、勝手に帰ることないだろ?!みんなで探したんだからねっ!」

 

あの後は本当に大変だった。弟の僕が探しても見つからないということで、何か事件にでも巻き込まれたんじゃないかと、ちょっとした騒ぎになってしまったのだ。

それまで事態を静観していたマスタング大佐の、あの男のサボり癖はいつものことだから、そんなに心配することもないだろうという声でその場はなんとか収まったのだが、僕は家に帰りつくまで不安でしょうがなかったのだ。

 

「だって仕方ないだろ?俺は何ヶ月も前から今日は休みにしてくれって頼んでたのに、あの無能が許可出さねぇから。朝、ちゃんと出勤しただけでも偉かっただろ?・・・つーか、俺のこと心配してくれてたのか?」

やけに必死な僕の様子を感じ取ったのか、兄さんが嬉しそうににんまりと笑った。

あぁもう、どれだけ人の神経を逆撫でする気なんだこの人は!っていうか、マスタング大佐はもしかしたら兄さんの行動に気付いていたのかもしれない。だから、あんなに冷静だったのかも・・・。

あぁ、ホントに二人とも人騒がせなんだから、と関係のない自分の上司にまで八つ当たりしてしまった。

「っちがうよ!みんなに迷惑がかかるのを心配してたんだよ!」

精一杯怒った様な声で言ったのだが、全然兄さんには通じなかった。さっきから顔がにやけっぱなしだ。

「照れなくてもいいって、アル〜」

僕の態度のどこを照れと取ったのかは不明だが、兄さんは嬉しそうに僕を抱き締めた。

「・・・〜〜。」

 

何だか急にバカらしくなってきた。行方不明だとか事件に巻き込まれただとか大騒ぎしておいて、当の本人は堂々と仕事をサボって料理を作るのに専念していたという訳だ。まぁ兄さんらしいと言えばこの上なく兄さんらしい顛末だ。しかもそれが僕の誕生日を祝うためだと分かってしまえば、僕も怒るに怒れないし。

とりあえず、明日兄さんの部下の人達には単なるサボりでした、とよく謝っておこう。その理由はちょっと恥ずかしすぎるので、何か適当に誤魔化さなきゃいけないな。

とにかく、兄さんに何事もなくて良かったと思うのと同時に、ようやく心からほっとする。

 

「さぁアル、冷めないうちに食べようぜ。」

「う、うん。」

兄さんに促されて、二人向かい合って豪勢な食卓の席に着いた。

 

 

 

「・・・どうだ、うまいか?」

兄さんが身を乗り出して僕の様子を窺っている。スプーンを握り締めて、表情は真剣そのものだ。

僕は兄さんが勧めてくれたものを咀嚼しているのだが、正直言って自分が何を食べさせられているのかよく分からない。見た目じゃ何の料理なのか判断できなかったし、味も今まで食べたことのあるものとは違う気がする。兄さんに料理の知識があるとは思えないから、僕がいつも使っている料理の本を参考にしたんだろうけど、これはもう完全に兄さんの創作料理と言っていいかもしれない。

 

「・・・これ、本当に兄さんが作ったの?」

僕は最初の一口を飲み込んで、訝しげに尋ねた。何だか信じられない。でもまぁ、見た目の派手さとか盛り付けの芸術的センスとかを見れば、これは兄さんにしか作れないだろうとは思うのだけれど。

「何で疑うんだよ!」

兄さんが信じられないって顔で僕を見るので、僕も同じような顔をして言い返した。

「だって、疑いたくなるほどおいしいんだもん!」

 

僕の言葉を聞いて、兄さんは一瞬固まった。それから、何やら得意げに頷く。

「そうか、そんなにうまかったか!当然だな、兄ちゃんのアルへの愛情を注ぎまくったからな。そこらへんの料理とは格が違うんだよ、格が。」

「・・・あはは、そうなんだ。」

兄さんのやたら自信に満ちた言葉に、僕はちょっと乾いた笑みが零れる。これ、大丈夫だよね?兄さん変なものとか入れてないよね?確かに味はおいしいのだけれど、なんか不安だ。なにせ、あのいろんな意味で天才的な兄が作ったものだし。

 

 

 

料理を半分ほど平らげたところで、兄さんが僕を呼んだ。

「アル。」

その目はさっきまでの浮かれた様とはうって変わって真剣で、自然と引き込まれてしまう。

「・・・なぁに?」

 

「誕生日、おめでとう。」

 

その言葉をかみしめるようにして、兄さんは言った。僕だけに聞かせてくれる、酷く甘い声で。その優しい穏やかな目が、僕だけを見つめていてくれる。

 

「あ、ありがとう、兄さん・・・。」

 

急に気恥ずかしくなって、ちょっと俯いてしまった。そんな僕の様子を見て兄さんが笑ったのが、何となく気配で分かった。

 

「プレゼントは後でやるから、楽しみにしてろよ。ほら、もっと食え。これなんかスゲー自信作だからさ。」

そう言って、相変わらずの派手な料理を取り分けてくれる。

そうやって、さも当然のことのように僕の誕生日を祝ってくれる兄さんがいることに、酷く安堵した。僕はとても幸せな人間だなぁ、と心の底から思う。

 

「・・・何か、拍子抜けしちゃった。」

今日一日張り詰めていたものがふつりと緩んで、無意識の内にそんな言葉が零れた。

 

「え・・・、もっと派手な方が良かったのか?」

独り言のつもりで言ったのだが、兄さんに聞こえてしまったらしい。しかも内容を変な方向に受け取ってしまったらしく、一瞬で表情が曇る。

「ううん、そうじゃなくて・・・。」

僕は誤解を解くために慌てて首を振った。

それから、今朝から今までのことを振り返る。今思えば、本当にバカみたいだ。勝手に期待して、勝手にがっかりして八つ当たりもして。

 

「今朝の兄さん、いつもと同じだったから、今日が何の日か忘れちゃったのかなって思ったんだ。そんな風に考えてるうちにだんだん兄さんに怒りがわいてきちゃったから、腹いせに今日の夕食は兄さんに高級なのもいっぱいおごらせてやる、とかずっと考えてて・・・。なのに、兄さんは勝手にいなくなっちゃうから、すごく心配だったし・・・。」

 

何だか言ってることが子供染みてて情けない。大体この歳にもなって誕生日ごときで拗ねるとかありえないかも。

でも、ずっと楽しみにしてたのも本当だ。大好きな兄さんに、特別な日をお祝いしてもらいたいって。

それに今回の誕生日は特別なのだ。何と言ったって、この温かい身体に戻ってからの初めての誕生日なのだから。

 

色んな想いが溢れてきて、僕は俯いてしまった。

二人で旅をしていた頃のこととかも思い出してしまう。あの頃はとても誕生日を祝う、なんて余裕はなかった。それに兄さんは自分だけが肉体的に歳をとっていくことについて、酷く僕に対する罪悪感のようなものを感じていたようだ。けしてそれを外に出さないようにはしていたけれど。

僕はそんな兄さんを見ているのが辛くて、でもだからといって何か言うこともできなくて・・・。だから早く元の姿に戻って、何の気兼ねもなくお互いに“おめでとう”が言える日を、ずっと待っていたのだ。

 

「・・・今日が、なんでもない日みたいに過ぎてっちゃうのが、・・・なんて言うか寂しいなって思ってたから。・・・まさか、こんな風に祝ってもらえるとは思ってなくて・・・。今、すごく嬉しくて・・・。」

 

あぁヤバイなって思ったときにはもう遅くて、じわりと目元に涙が浮かんでくる。そんなみっともないところを見られたくなくて、もっと深くうなだれた。

 

そうしたら、ふわりと後から抱き締められた。

 

驚いて顔を上げたら、思いがけない程すぐ側に兄さんの顔があって、もっとびっくりしてしまう。兄さんの温かい左手が、そっと頬を撫でてから涙を拭ってくれた。

 

「バカアル。兄ちゃんが大事なアルの誕生日を忘れる訳ねぇだろ?」

 

兄さんが心底呆れたような、でも優しい声で言う。しかも耳元で囁くものだから、トクンと心臓が高鳴った。

「だって兄さん、記念日とかお祭りとか、興味ないんでしょ?自分の誕生日だってよく忘れてたし、パーティーとかに誘われた時だって、いつも断ってたじゃないか。」

「そんなのとお前の誕生日を一緒にすんなよ。俺にとって祝う価値があるのは、お前の誕生日だけだ。」

そう言って兄さんが僕の顔を覗き込む。それからニィっと笑った。

 

「なんたって俺とアルが出逢った記念日でもあるしな。俺、今日なら神様にも感謝できるぜ?アルを俺のところに寄越してくれてありがとうってな。」

 

そんな恥ずかしいセリフを堂々と言い切って、兄さんは太陽のような暖かい笑顔を僕にくれた。僕は自分でもほっぺが紅くなるのが分かってまた俯いてしまったが、心の中に溢れてくる嬉しさと愛しさを取りこぼさないようにとかみしめる。

 

「・・・もう、兄さんったら。」

照れ隠しでそんなことを言ったら、今度は向かい合ってぎゅっと抱き締められた。僕も、その逞しくなった背中へと両手を回す。

「アル、俺は本当にお前に逢えて良かった。こんな風に笑って、二人で誕生日を迎える事ができて、俺は今すごく幸せだ。」

「・・・僕も幸せだよ、兄さん。」

 

できる限りの甘い声でそう囁くように告げて、僕はそっと瞼を閉じる。

 

するとすぐに、甘くて優しいキスの雨が降ってきた。

 

 

 

 

「そういえば、みんなも呼べばよかったね。折角おいしい料理が、こんなにあったんだから。」

 

二人で仲良く並んで食器を洗いながら、ふとそんなことを思った。

今日の兄さんの行方不明騒ぎなどがいい例だが、何だかんだいっていつも迷惑とか苦労とかかけてしまうので、お返しをしなければいけないなと常日頃思ってはいるのだが、そうそう良い機会は巡ってこない。 兄さんはみんなと一緒の誕生日会の図でも想像したのか、ゲっと呻いて顔を歪めた。

 

「冗談は止めてくれ、俺は絶対に嫌だ。その身体になって初めてのお前の誕生日なんだぞ、あいつらに邪魔されるなんてごめんだ。・・・今日くらいは、二人っきりで過ごさせてくれ。」

「・・・うん、それもそうだね。」

確かに二人きりの方がいいなぁと思って頷いた。

みんなで過ごすのも楽しそうだけど、今日みたいに兄さんの優しさとか甘さを独り占めできるのも悪くない。

 

「ところで、兄さんのプレゼントはまだくれないの?」

「まぁ、焦るなって。俺のはベッドの上までのお楽しみだ。本当スゲーから、期待してろよ。」

兄さんがにっこりと微笑む。

「・・・ベッド、ね。すごく嫌な予感がするんだけど・・・。」

「そうか、気のせいだろ?」

 

兄さんの一見無邪気にみえる笑顔に、僕はちょっとだけ頬を引きつらせた。

 

 

 

 

その後、兄さんはベッドの上で“愛情”と言う名のプレゼントをくれた。

 

キスやら愛撫やらを散々施されたあとで、俺のプレゼント気に入った?なんてけろりとした顔で聞くものだから何だか悔しくなった。

こっちは翻弄されっぱなしで、そんな余裕なんかこれっぽっちも残っていないのに。

それにこれって結局は兄さんも気持ちいい訳だし、全然僕のためのプレゼントじゃないしと文句を言ったら笑われた。

 

さらにふくれていると、今度は“自分の左手見てみな”って言われた。

 

いきなりそんなことを言われて疑問符を浮べながらも左手を目の前にかざすと、何かが月明かりに反射してきらりと光った。右手で恐る恐るそれに触れる。

 

――薬指にはまった、銀色の指輪。

 

驚いて声も出せないでいると、“そっちがホントのプレゼントだよ”って早口で言う声が、キスと一緒に降ってきた。

キスを終えて至近距離で向かい合うと、月明かりに照らされた兄さんの顔が紅いのがよく分かって何だか心が温かくなった。クスリと笑みを零してから、僕はその珍しい兄さんの顔を心に焼き付ける。

 

それから、ありがとうの気持ちと愛しさをめいっぱい込めて、今度は僕からキスをした。

 

 

 

 

***************

 はい、アルの誕生日のお話でした。

 当社比で甘めになりました。あくまで当社比なんで、大したことないかもしれないですが。

 エドはこそこそ準備したりウィンリィとかに料理指南とかしてもらって、ブラコンとかからかわれてるといいです。

 まぁ、とにかくエドは必死でしょう。一年で一番頑張ってますよ、きっと。

 二人で幸せになってくださいね。

 

 

 

 

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