―――  021.  僕を返して

 

※ 真理アル?と兄さん

 

 

 

「・・・ん、・・・ぃさん、・・・」

 

俺はぼんやりとした意識の中、重たい瞼をどうにか開いた。

誰かが、俺に話しかけているようだ。

 

「・・・にいさん、ねぇ・・・起きて?」

 

その声で、脳は一瞬にして覚醒した。

 

聞き間違いなどするものか。

しかも、俺を“兄さん”と呼べるのは、この世でたった一人だけだ。

 

「アルっ・・・!」

 

何より俺が驚いたのは、アルフォンスのその声が、いつものあの鎧の中からくぐもって聞こえる声ではなかったということだ。

普通の人間と同じように聞こえる、高く澄んだ綺麗な声。

けれど、思い出の中のそれとは少し違う、14歳のアルフォンスならきっとこんな声だろうと思わせる年相応の少年の声だ。

 

「アル、どこだっ?!」

 

辺りを見回すと、そこは真っ白い空間だった。

 

ふと気配を感じて振り返ったら、そこにアルフォンスが立っていた。

あの、真理の扉の向こうにいたアルが。

 

伸びた髪、骨の浮いた手足、痛々しいほど痩せ衰えた身体。

 

震える指で肌に触れると、冷たい。背筋がぞわりとした。

俺は、縋るようにしてアルフォンスを抱き締めた。早く・・・、早く、温めなければ。

 

「ごめんなっ・・・、アル・・・」

みっともなく声が震えた。

 

アルフォンスは俺を見つめたまましばらく黙って、それから乾いた唇を動かした。

 

「・・・うん。・・・ホント、そうだよ。」

 

え・・・?と思わず身体を離した。

 

覗き込んだアルフォンスの瞳は、その声と同じに冷たかった。

二イッと口角をつり上げて、見たことのない顔で笑っている。

 

「兄さんがあんなことしなければ、僕の魂と肉体は、真理の扉の向こうで共に在ることができたのに。こちらとあちらで、離れ離れになることもなかったのに。」

 

「・・・あ、・・・ぁ」

 

「僕の魂は僕だけのものなのに、無理矢理引き剥がして連れて行くなんて酷いよ。僕は、兄さんのモノじゃないのに。」

 

「・・・っ・・あぁ・・・」

 

「魂と肉体が離れ離れなんて、こんな苦しくて辛くて不幸なことはないよ。」

 

「・・・ア、ル」

 

「ね?だから兄さん、・・・僕を、返して。」

 

するりとアルフォンスの腕が伸びてきて、掌が俺の首に回された。

 

息苦しさが押し寄せてきて、夢はぷつりとそこで途切れた。

 

 

 

目を覚ますと、窓からの月明かりに宿屋の天井が青白く照らされているのが見えた。

 

部屋の中に、アルフォンスの気配は無い。どうやら、夜の散歩にでも行ったらしい。

 

 

 

俺は冷えたベッドの上、声を殺して静かに泣いた。

 

 

 

 

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―――  022.  解けた誤解は苦すぎる

 

※ 現代  兄:大学生  弟:高校生

 

 

 

あぁ、最近の僕はなんだか変だ。

 

一体どう変なのかというと、兄さんに今までと同じように接することができなくなってしまったのだ。

子供の頃は何をするにも兄さんと一緒なんて時期もあったというのに、最近では兄さんと一緒にいたくもないし話したくもないなんて思うことがある。

 

なんで?と考えても分からない。

別に、兄さんが嫌いになったとか喧嘩したとかいうわけじゃないのに・・・。

 

この間、隣に住んでいるウィンリィに相談してみたら、あんたにもようやく反抗期が来たんじゃない?とおもしろそうに返された。

確かに、少々複雑な家庭事情によって兄さんとの二人暮らしが長かったから反抗期どころじゃなかったし、たった一人の家族なのだから大切にしたいと思ってきた。

今回のは、その気持ちへの反動なのかもしれない。

いい加減、兄にべったり頼りきるのは止めようと。十分一人でだって生きていける歳になった。僕はもう、守られるだけの子供じゃないんだ。

 

そう無理矢理結論付けると、僕はこの訳の分からないイライラに蓋をした。6時前には帰ってくると言ったのに、兄は今だ帰らない。

 

 

結局、玄関の扉が開いたのは7時半頃だった。

 

「悪ぃー、アル!遅くなった。」

「・・・別に、今ご飯できたとこ。」

 

僕はなるべく募るイライラを隠そうと、兄を見ないようにした。そうでなければ、何処で何をしていたのと詰問してしまいそうだった。

 

「なー、アル!これ見て。」

 

そう言われてしぶしぶ振り返ると、兄さんはケーキ屋さんの小さな箱を僕に手渡す。

促されて中を開ければ、ショートケーキが二切れ。片方はキラキラとした果物で、もう片方はレースのようなクリームで飾られている。

 

「なに・・・?」

「アルへ、プレゼント。」

兄さんは上機嫌で笑っている。

 

「今日、バイトの給料日だったからな。アル、この前チラシ見ながらコレ食べたいって言ってただろ?」

僕は、そんな些細なことを覚えていてくれたのかと嬉しい反面、申し訳なさが込み上げてくる。

「・・・別に、わざわざよかったのに。兄さんのお金なんだし・・・」

「いーんだよ。俺がアルにお礼したいって思ったんだから。」

「・・・お礼?」

「あぁ。俺がバイト行く分、アルの家事が増えちまっただろ?その分だよ。」

「でも・・・」

「いいから、気にすんなって。」

 

兄さんはぐしゃりと僕の頭を撫でて、さっさと夕食の席に着いた。

 

 

 

食後のデザートというコトで、再びケーキの箱を開く。

 

「ねぇ、兄さんはどっちがいいの?」

テーブルの上を片付ける兄に問う。

 

「あー、両方アルのだから。」

「え?」

「俺、甘いモン苦手だし。どっちにするか迷って、どっちもアル、好きそうだなと思って両方にした。」

「・・・そっか、・・・ありがとう。」

 

微笑む兄さんを見て、今度は素直にお礼が言えた。

 

一切れだけ取り出して、ゆっくり味わって、おいしいと笑顔を零せば、兄さんも嬉しそうにしてくれた。

 

ケーキはもう一切れある。

明日、それを食べる時、僕は兄さんのことを想ってそれを味わうのだろう。

 

 

僕が兄さんを好きだと思う時と、僕が兄さんを疎ましく思う時には、ある一定の秩序があるのだと最近気が付いてしまった。

それはものの見事に、兄さんの関心が僕に向いているか、いないかに二分されている。

よく考えれば、なんとも分かりやすい話じゃないか。

 

僕は今、この反抗期を装う気持ちの正体に気付き始めている。

 

 

 

一つ認めるたびに押し寄せてくるのは、絶望だ。

 

 

 

 

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―――  023.  打ち捨てられた花束

 

※ 現代  姉と弟:高校生

 

 

 

生まれて初めて、真っ赤な薔薇の花を買った。

 

制服姿の男子高校生にとって、そこに至るまでの過程は正直かなり恥ずかしいもので、店の綺麗なお姉さんには“彼女にあげるの?”なんて聞かれて大慌てで首を振ったりしてしまった。

 

そうだ、相手は“彼女”、なんかじゃない。

 

でも込められた気持ちは多分、一緒だ。

小さな花束だけれど、これをあの人に贈りたい。

 

今日は、僕の姉さんの誕生日。

 

 

 

花束を潰さないように鞄の中へ隠して、二人暮らしのマンションへと急いだ。

 

キッチンでは今夜のご馳走になるべく食材たちが待っている。

メニューは姉さんがリクエストしたものばかりで、下ごしらえは昨日のうちにしておいた。

後は仕上げて盛り付けて、二人きりの誕生日会の始まりだ。

 

去年は友達や幼馴染みを呼んで賑やかだったが、今年は二人でやろうと言い出したのは姉さんだ。

受験も近いから、みんなに遠慮したのだろう。

僕はどちらでも良かったのだけれど、薔薇を贈ろうと決めたのは、姉さんが二人でやろうと言い出した後だった。

 

マンションの前まで辿り着くと、そこで姉さんに鉢合わせした。

 

「おー、アル!おかえりー!」

「姉さんもおかえり。早いね。」

「あぁ。アルのこと、手伝おうと思って。」

「それはどうも。」

 

ふと、姉さんの鞄からはみ出しているものを見て、僕は一瞬息が止まった。

 

「ね、姉さん、それは・・・?」

「あぁ、これ?」

 

姉さんは鞄からそれを取り出した。

それは、ピンクの薔薇の花束だった。

 

「ロイがくれたんだよ。綺麗だから一応受け取ってやったけど、その後で付き合ってくれってしつこいからさ、もう二度と好きだとか言えないようにボッコボコにしてきた。」

 

あははと姉さんは笑っている。

僕は何か怖いことを聞いたような気がするが、深くは考えないことにした。

 

ロイさんは、姉さんと同じクラスの頭も顔もいい元生徒会長だ。

どうやら姉さんに気があるらしく、校内でも二人一緒のところをたまに見かける。

 

そこで僕は、少し混乱してきた。

 

ロイさんは、姉さんのことが好きだから薔薇を贈ったのだろう。

そういう意味を込めているから、他でもない薔薇なんだ。

それじゃあ、僕は?

姉さんのことを好きだけど、弟でもあるこの僕は?

この花は、弟が贈ってもいいものなのか?

好きって意味が込められていたとしても?

 

不自然じゃないか、どう考えたって。

 

僕は、とんでもないことをしようとしていたのかもしれない。

 

こんなものを弟から貰って、姉さんがどう思うかなんてちゃんと考えてはいなかったんだ。

普通なら、気持ち悪いとか思うんじゃないだろうか。

 

でも、ただ単純に綺麗な花だからって理由では渡せないだろうか?

でも、それだけじゃ下心を見透かされそうでなんだか怖い。

 

それに、このタイミングじゃ絶対に無理だ。

よりにもよって、薔薇の花束が二つだなんて。滑稽すぎる。

 

あぁ、駄目だ。とても渡せない。

 

さっきまではこれで僕の気持ちに気付いてくれたら、なんて馬鹿なことを考えていたけれど、今となってはとんでもない!

この“好き”は本来、他人にだけ向けるものであって、それを家族に対して抱くことは認められていないんだ。

ロイさんは他人だから、姉さんを好きになってもいい。

だけど血の繋がった僕は、駄目なんだ。

誰も、許してはくれないんだ。

神様も父さんも母さんも、友達も先生も、姉さんだって・・・。

 

指先が震えている。それを隠すように、汗ばんだ掌をぎゅっと握った。

 

「・・・・・・・・・姉さん、僕、買い忘れたものがあるから、先に部屋に入ってて。」

 

言うなり僕は駆け出した。

角を二つ曲がった先にある公園に入って、目立たない場所にあるゴミ箱を探した。

 

ハァとひとつ息を吐いて、鞄から取り出した薔薇を捨てた。

泣きそうな程ぐちゃぐちゃになってしまった、心も一緒に。

 

 

 

それからコンビニに寄って必要もないものを買い、走って帰ってから料理を仕上げてセッティングした。

姉さんは花瓶なんか探してきて、ピンクの薔薇を、よりにもよってテーブルのど真ん中に置いた。

そんな上機嫌な姉さんを、複雑な思いで僕は見ていた。

 

料理を食べてケーキを食べて、姉さんは美味いと喜んでくれた。

後片付けをしながらプレゼントはくれないのかと催促されて、姉さんの言うコトを何でも一つ聞いてあげると、子供騙しのような言い訳をした。

文句を言われるかと思ったのだが、姉さんはあっさり引き下がり、さっさと風呂へと行ってしまった。

それはそれで、何かとんでもないことを言われそうで失敗したなと思ったけれどももう遅い。

できることなら、昨日でも一昨日でも5時間前でもいいから戻りたい。

 

 

 

僕もお風呂に入って、これから姉さんにどうやって接していけばいいんだろうと考える。

けれども答えなど出るはずもなく、居間に戻った。

 

扉を開けると、ダイニングテーブルに寄りかかって立つ姉さんと目が合った。

なんだかさっきまでと違う雰囲気に戸惑って辺りを見回すと、テーブルの上で視線が凍りつく。

なんで・・・、どうして?

 

鎮座する花瓶に、薔薇の花。だけどさっきまでと、色が違う。

 

「アル・・・」

 

呼ばれて視線を動かすと、その足元に目がいった。

 

「姉さん・・・、それ、どうしたの・・・?」

 

床の上にピンクの花弁が散乱している。花びらをむしりとられて、無残な姿を晒していた。

 

姉さんは、ぐしゃりとそれを踏んだ。

 

「コレはもう、用無しだからな。」

 

下を向いてそう言って、今度は花瓶に生けられた赤い薔薇を見た。

つられるようにして再びそちらに視線を戻すと、テーブルの隅には見覚えのあるラッピングとリボン。

 

「アルにするお願い考えたからさ、今からやるぞ。」

「え・・・?」

 

姉さんはニヤリと笑って、困惑する僕の腕をきつく掴んだ。

それから姉さんの部屋まで連れていかれる。

 

「今から願い事言うぞ。もちろん、お前に拒否権なんかないからな。・・・アルが言い出したんだから。」

「う、ん・・・」

 

「今晩、アルは俺だけのものになれ。」

 

 

 

姉さんにベッドに押し倒されて、僕の視界は天井を仰いだ。

 

 

 

 

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―――  024.  夢見る羊の命が終わる

 

※ 病んでいる兄さん

 

 

 

「・・・アル、見ーつけた。」

 

その声に、アルフォンスの背筋が凍った。

 

打ち捨てられた教会の入り口に立つ兄の姿を、ピシャリと瞬いた雷が映し出す。アルフォンスの歯が、かちりと鳴った。

 

「アル、すげー探したぜ?」

 

そう言う兄の声は、酷く穏やかだった。

けれども、いや、だからこそ、アルフォンスは恐怖を覚える。

 

辺りはまた闇に包まれ、その表情を窺うことはできない。

それがいっそう、不安を煽った。

 

「アル、早く帰ろう?」

 

カツンカツンと、ブーツの音がこちらへと近付いてくる。

 

逃げなきゃ、と脳が命令するのに、身体は祭壇に背中を預けたまま立ち上がることもできない。

 

あと一歩の距離を残して、兄は静かに立ち止まった。

再びピシャリと雷が落ち、笑う兄と怯える弟の対照的な顔を照らし出す。

 

「あぁ、アル。こんなに泥だらけになっちまって。服もボロボロだし、ちょっと痩せたんじゃねぇか?」

 

兄の手が、そっとアルフォンスの頬に触れた。

その感触の冷たさに、震えが止まらなくなった。

 

「この俺から逃げられると思うなよ、アル。」

「・・・・・・っ・・・!」

 

「何度やったって同じだ。俺はどんな手を使っても、必ずお前を探し出す。・・・地獄の底まで、追いかけてやる。」

 

そう言って、兄はアルフォンスを抱き締める。

強気な言葉と裏腹に、その身体は震えていた。

 

「・・・兄さんは、ほんとに馬鹿だ。僕がどんな気持ちで、あの家を出てきたと思ってるの・・・?分かってる?これ以上禁忌を犯したら、もう母さんのいる所には逝けないんだよ?」

 

「はっ、大馬鹿ヤローだな、アルは。俺が今更、天国に逝けるなんて本気で思ってんの?」

 

「・・・・・・・・・思ってた。僕が家を出た時には、まだ引き返せるって。僕も兄さんも、この想いを口にさえしなければ、きっと神様にもバレないだろうって。そうすれば、禁忌を犯したことにはならないって。」

 

懺悔するようなアルフォンスの告白に、兄は狂喜じみた笑みを浮かべる。

 

「・・・アル、愛してる。」

「っ、止めて・・・!」

 

アルフォンスは急いで耳を塞いだ。

あぁ、自分はその言葉を兄に言わせないために、あの家を出たというのに。

まさか、追いかけてくるなんて。

しかも、それによって兄の劣情を掻き乱してしまったのは、他ならぬアルフォンス自身なのかもしれない。

 

「も、遅いんだよ・・・アル」

「・・・・・・・・・」

 

「とっくに手遅れだったんだ。口に出すとか、周りにバレるとかそういう問題じゃなくて・・・。俺がアルを愛した瞬間から全ては始まって、終わってたんだ。」

 

兄はアルフォンスに口付ける。

 

「雨が上がったら、家に帰ろうな。」

 

アルフォンスを抱き、身体を寄せた。

 

「家に帰ったら、それから先は、ずっと一緒だ。」

 

「・・・・・・・・・死んでも、地獄の底まで?」

 

「あぁ、地獄の底まで。」

 

 

 

打ち捨てられた教会の中、二人は雨が止むのを待っていた。

 

 

 

 

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―――  025.  僕と君とあなたと

 

※ アル:高校生、17歳  エド:化学教師、26歳  兄弟ではない

 

 

 

一人になりたい時に行く、僕のお気に入りの場所がある。

 

転寝するのにちょうどいい、人気の無い体育館裏。

時々やってくる美しい野良猫に、恋の秘密を打ち明けみたりして。

余計に切なくなるような昼休み。

 

けれども今日は先客がいた。

 

それが誰だか分かった瞬間、僕の身体は硬直した。

よりにもよって自分の好きな人に、こんな所で出くわすなんて!

 

「おぉ、アルフォンス。こんなトコでどうした?」

 

戸惑ったままの僕が応えられないでいると、エルリック先生の足元からこちらへとあの野良猫が駆けてきた。猫は、いつものように膝を貸せと言わんばかりに擦り寄ってくる。

いつの間にか、先生も僕の前に立っていた。

 

「その猫、アルフォンスの知り合いか?」

「え?・・・えと、知り合いって言うか、野良猫みたいなんですけど、ここによく来るから僕が一方的に可愛がってるだけで・・・。」

しどろもどろになって答えると、先生は少し可笑しそうだった。

 

「すげー、懐いてんなぁ。」

先生は、僕の足元に視線を落とした。

そのちょっと微笑んだような顔が穏やかで、僕は一瞬心臓が止まるかと思った。あぁ、先生は僕と同じ男の人なのに、何でこんなに綺麗なんだろう・・・。

 

「アルフォンスは、猫に好かれるタイプか?」

「えっ・・・と、そうですね。僕は猫、好きなので、野良猫とか見かけると撫でたりしますけど、あまり嫌がられることはないですね。」

「そっか、俺はダメだな。何でかいっつも威嚇されんだよ。」

ホラと言うように、先生は右手をひらひらと振った。骨ばった手の甲に、引っかき傷が付いている。

 

「えっ・・・だ、大丈夫ですか?!」

 

気が付くと、驚いた僕の両手が勝手に先生の右手を取っていた。

 

「大したことねぇって。本気じゃなかったしな。」

少し笑って、先生の視線が再び猫を捉えた。

 

そして僕は、完全に手を離すタイミングを逃してしまった。

 

しばらくそのままの状態で、心臓が高鳴る時間が過ぎる。

先生の手は温かいなと思ったけれど、単に僕の体温が上がっていただけかもしれない。

 

その長かったような短かかったような時間は、予鈴のチャイムで終わりを告げた。

 

 

校舎に戻る先生の背中を見送って、僕は抱き上げた猫の額に、お礼のキスをした。

 

 

 

 

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―――  026.  清潔な白い牢獄

 

※ 人体錬成後、年の差兄弟

 

 

 

「・・・アルっ!?・・・アルー!!」

 

悲鳴じみた幼馴染みの呼ぶ声が、まどろむアルフォンスの意識を覚醒させた。

 

声が近付き、やがてアルフォンスの部屋の扉が開かれる。数年ぶりの幼馴染みは、恐ろしいものでも見たかのように、たいそう怯えた顔をしていた。

 

「・・・アルっ・・・!」

 

幼馴染みはアルフォンスの横たわるベッドに近付き、そのあまりの様子に膝を折った。

白いシャツ一枚から覗く素肌には、拘束と鬱血と陵辱の跡が生々しく付いていて、少年と青年の間の幼さを残したアルフォンスの身体をよりいっそう痛ましく見せた。

 

「・・・ウィンリィ、兄さんは?」

「あいつはいないわ。」

 

“じゃあ、どうやって入ってきたの?”と唇が静かに紡ぐので、ウィンリィはとうとう涙を流した。

 

「・・・っ、鍵なんか、ぶっ壊してきたわよ。だからアル、早く一緒に行きましょ!」

 

その手がアルフォンスに触れようとした瞬間、ガンッと扉が凶悪な音を立てた。

そうして開け放たれた入り口に立っていたのは、蒼白な顔色のエドワードだ。

 

「ウィンリィ・・・、テメェ勝手に触んなよ。アルの身体にバイ菌でも付いたらどーすんだ!」

 

エドワードの瞳は怒りに揺らぎ、小さな白い部屋の空気を一変させた。

 

 

「・・・お帰りなさい、兄さん。」

 

その静か過ぎる声色に驚いて、ウィンリィはアルフォンスを振り返る。

アルフォンスはゆっくりと身体を起こしウィンリィと、その向こうの兄を見た。その目の光はどうしてだか、先程よりも強く輝いている。

 

「兄さん僕、いい子にしてたよ?・・・朝、兄さんを送り出してから、この部屋の中にずっといた。外に出たいとも思わなかったし。貴方の言う通り、この2年間、兄さん以外の人と会ってもないし喋ってもない。この白い部屋の中で、僕は貴方だけの物になろうって決めたから。・・・依存が行き過ぎてるって、分かってたけど構わなかったんだよ。・・・だって、兄さんがそれを望んだし。僕を愛してくれたから。」

 

淡々と語られる言葉に、ウィンリィは息を呑む。それから、痛む心の中で自分を罵った。

どうしてもっと早く、気付かなかったのと。

 

アルフォンスの言葉は続く。

 

「でも、僕が選んだ道は、間違いだったみたい。」

 

「ア・・ル・・・?何、言ってんだよ!!」

 

エドワードはなだれ込むように部屋の中へと入り、ウィンリィを押しのけてベッドサイドに膝を付く。

 

「兄さん・・・、僕、ここを出て行くね。」

「・・っ・・・?!」

 

「運動も出来ないし、外にも出られないんじゃ、いつまでたっても身体は良くならないよ。・・・ずっと僕にこのままでいてほしい貴方の側にいたんじゃ、尚更ね。」

 

アルフォンスはふらつく足でベッドを降り、クローゼットの扉を開けた。

しかし外に出ることのないアルフォンスに私服などないので、いつものように少し大きい兄のものを拝借して着替える。

 

「ねぇ、ウィンリィの所で治療とリハビリ受けたいんだけど、いいかな?」

 

ウィンリィは、はっとして何度も頷いた。

「もちろんよ、アル!・・・・今日は、無理矢理にでもリゼンブールに連れて帰るつもりで来たんだから!」

 

アルフォンスは微笑んで“ありがとう”と言うと、引き出しを開けて、無造作につっこまれていた札束を取り出した。

 

「兄さん、コレ治療費に借りてくね。後でちゃんと返すから。」

札束を鞄に入れるとアルフォンスは、ふらつきながらもウィンリィを促してドアの前まで歩み寄る。

 

 

「・・・なぁ、アル。・・・俺は?」

 

 

さっきまでの剣幕が嘘みたいに弱弱しい声が、縋るように追いかけてくる。

 

アルフォンスは振り返って、ベッドの前で跪いたままのエドワードの背中を見た。

 

「・・・兄さんは、此処に居て。」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 

「僕が元気になって、身体も心も強くなって、兄さんを頼るばかりじゃなくて、兄さんを支えられるようになったら・・・。今度は僕が、兄さんを迎えに来るから。」

 

 

 

エドワードが、ゆっくりと振り返る。

 

 

「兄さん・・・。だからそれまで、待っていて・・・。」

 

 

 

 

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―――  027.  飛ぶ為の翼など、昔々に引き千切られた

 

※ 遊郭にて  エド:軍人  ロイ:エドの上官

 

 

 

一目見た瞬間から、綺麗な人だと思った。

 

だから最初は、気付かなかった。

それが本当は、―――だって。

 

 

上官に無理矢理連れて行かれ、初めてそこを訪れたのは3ヶ月ほど前の話だ。

 

護衛のためだと部屋の中まで連れ込まれ、隅で大人しくしてろよと念を押される。

そう言って、あの気に食わない笑みを浮かべた上官は明らかに、このような場所には不慣れな俺を面白がっていた。

 

しばし嫌に静かな沈黙が流れる。

その間、プライベートに俺を巻き込むなと憤っていた心はしかし、襖が開いた瞬間に霧散した。

 

それはあっけない程いとも容易く、俺の心はその人に掻っ攫われていった。

 

綺麗な着物を纏い、金の髪を結い上げたその人は、俺が今まで見たどんな女よりも美しかった。

上官が手招きすると、その人は側に寄って酒を注いだ。袖から覗いた指は白くて美しい。

 

やがてその人は何かを耳打ちし、それからじっと俺を見た。そこには、俺が今までに見た遊女の媚びたような笑みがない。

 

「アレが新しい部下だ。ハボックは出世したのでな、異動になったんだ。」

上官がそう言うと、その人は少し瞼を伏せた。

 

「・・・何だ、寂しいのか?」

その人はこくりと頷いた。

 

「そうだなぁ、ハボックはお前のことを実の弟のように可愛がっていたからな。」

上官は、懐かしむように優しい笑みを浮かべている。

こんな表情を見るのは初めてで、少し驚く。

 

・・・・・・・・・そこで俺は、とある単語に引っ掛かりを覚えた。

・・・“弟”のよう?・・・“妹”じゃなくて?

 

俺はまじまじとその人を見た。が、見れば見るほど困惑する。

 

そんな俺の顔が可笑しかったのか、とうとう二人して笑い出した。

 

「いやぁ、アルフォンス。面白いくらいに引っかかったな。あぁ、見たかね?君が現れた瞬間のコイツの顔を。傑作だった、あんなに顔を赤くして。私は笑いを堪えるのに必死だったぞ。」

「あなたも、人が悪いですね。」

 

小さく発せられた声は、甘く溶けるようだった。

だからまだ、目の前の光景を信じることが出来そうにない。

 

「だいたい、君がそんな格好で現れたからだろう?私がこんな悪戯を思い付いてしまったのは。かつらに化粧までして、完璧な女装じゃないか。しかも似合いすぎている。この私でさえ、君は本当は女性だったのかと思ってしまったぞ。」

「あなたにそう言ってもらえるなんて、光栄ですね。」

 

その人は笑って、それから少し俯いた。

「・・・残念ながら、今日はあなたにお渡しする“恋文”がありません。」

 

その声に、上官の目が変わる。あれは、仕事をしている時の目だ。

「そうか・・・、中々手強いようだな。」

 

「・・・すみません。」

「なに、アルフォンスが謝ることはない。」

 

その一言で、上司の目がさっきまでのものに戻った。仕事の話はそれで終わり、というコトだろう。

俺はようやく、どうして上官がこんなところに連れてきたのか理解した。

この人は、他の客の情報を恋文などと称して軍に渡しているんだろう。そんな取引現場を俺に見せたということは、この先俺も、この人と関わる可能性があるということだ。そうならば・・・

 

「・・・なぁ、質問してもいいか?」

俺が訊ねると、その人はこくりと頷いた。

 

「あんたはどうして、こんなことをしてるんだ?軍に頼まれたからか?それとも脅されて?」

その人は、少しの間沈黙する。それから、紅を引いた唇を薄く開いた。

 

「・・・お金が欲しいんです。一刻も早く、ここを出るために。」

「そのためなら、危険を冒しても?」

 

「・・・僕には、外の世界でやらなければならないことがあるんです。」

 

 

柔らかな瞳が、強い意思を帯びて酷く美しかった。

まるで、籠から逃げようともがく蝶のように儚く、気高くて。

 

 

 

俺はどうしてだかその蝶を、籠ごと奪い去ってしまいたい、などと想ったのだった。

 

 

 

 

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―――  028.  夢から覚めたら

 

※ 人体錬成後  兄妹

 

 

 

ふわり、と意識が浮上する。

 

薄く開いた僕の視界は曖昧で、アレ?とぼんやり脳裏に浮かんだ。

確か、洗濯物を取り込んで、それをソファに座って畳んでいたような気がするのだが、その途中で眠ってしまったのだろうか。

 

今日は風もなくて暖かかったから、昼寝したいなぁなんて考えてはいたけれど。

 

何度か瞬いて首を動かすと、散らばった綺麗な金髪が見えた。

 

それを辿っていくと、すぐそこに兄の顔があった。

あの鋭い瞳は閉じられ、静かな呼吸を繰り返す唇は薄く開き、なんとも穏やかな顔だった。

 

身体を起こそうとしたけれどかなわなくて、それは兄が僕を抱き締めているせいだった。

 

それからようやく、自分の身体の下にあるのが、兄の厚い胸板だと気付く。

なんだか兄を僕がソファに押し倒したみたいな体勢で、堪らなく恥ずかしくなってきた。

 

それに、本当は昼寝などしている場合ではないのだ。

忙しい兄さんの貴重な休日なのだから、他にもやることはたくさんあるはずだ。一緒に買い物にも行きたいし、いつもより豪華な夕食も作ってあげたいし、話したいことも沢山ある。

 

とにかく、この腕を何とかしてもらおうと兄さんを呼ぶ。

 

「ねぇ、兄さん起きて?」

「う・・・ん・・・?」

 

兄さんの瞼が少し開く。

 

「昼寝なんかしてる場合じゃないよ。せっかくのお休みなのに。」

「・・・やだ」

 

そういうと兄さんはさっきまでより強く僕を抱き締めて、再び眠りについてしまった。

 

本人がそれでいいなら仕方ないと諦めて、僕もゆっくり瞼を閉じる。

 

 

 

二人でしたいこと、行きたい場所、話したいことは沢山あるけど・・・。

 

 

目が覚めて、すぐ側に大切な人の温もりを感じられた時の幸せには及ばないのかもしれないね。

 

 

 

 

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―――  029.  そして、僕等が笑う

 

※ 雰囲気だけ異世界ファンタジー  兄弟:魔術師、旅をしながら魔物退治

 

 

 

「あ゛ぁー!なめやがって、あのヤロー!!」

「兄さん、ウッサイ!!集中力が切れちゃう!」

「だって!コイツ、村人の話と違うぜ?!こんな攻撃力高ぇとか聞いてねーし!コイツとあの謝礼金じゃつりあわねーよ!」

「もうっ!こんな時にお金の話なんかしないでよ馬鹿!僕の結界、そろそろ限界なんだけど?!」

「なー、どーする?このままトンズラすっか?」

「はあ?お金はともかく、あの村の人達は困ってるんだから何とかするしかないだろ!僕は逃げたりしないからね!」

「ですよねー。アルならそう言うと思った。」

「じゃあ聞くな!ホンットー、無駄な時間だった!」

「まぁまぁ怒るなよ、アル。・・・っと、出来たぜ、魔方陣。」

「は?・・・って、ソレ!ナニ発動させようとしてんの?!この山ごと吹き飛ばす気?」

「どうせやんなら、派手でカッコいい方がいいだろ?」

「ソレッ!僕達だって危ないんですけど?!」

「よし、アル!!結界、解け!術、発動させるぞ!」

「ちょ、ふざけないで!!それはダメだから!!」

「へーキきだって!この辺は砂漠ばっかで人もいねーし、ここが崩れたって、でっかい岩山がちっさい岩山になるだけだろー?」

「もう!じゃあ、ちっさい岩山になってる途中に巻き込まれる僕達はどうなるの?!」

「アルに任せる!じゃー、行くぞ!!」

「だーかーらー!!ちょっ・・・」

 

 

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「あっはっはっ!!さすがアル!完璧だったな!」

「信じられない!兄さんなか、もう、嫌だ・・・。」

「怒んなよ・・・。ちゅーしてやるから。」

「ンなモン、いるかっ!!」

「なんだよ、魔物も倒せたし、俺もアルも無事だったからいいじゃねーかよ。」

「それは、そうだけど・・・」

「早く村に行って、礼金もらって、ついでにメシも食わせてもらおーぜ!」

「全く、さっきまで死にかけてたとは思えない・・・」

「んだよ、“さっき”より“今”の方が大事だろー?」

「・・・・・・・・・うん」

「じゃ、行こうぜ!」

「うんっ」

「今日も俺達、絶好調だったなー!」

「ははっ、そんなに引っ張らないでよ。」

「だって、早くメシ食いたい!」

「もう、気が早いんだから。」

 

 

 

 

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―――  030.  サグリアウシセン

 

※ 学パラ  みんな同じクラス  エドとアルは他人で、アルは女の子

 

 

 

いつもと変わらない昼休み、エドワードは自分の席に突っ伏して惰眠を貪っていた。

 

・・・が、それはあっさりと破られた。

 

 

「おい、エドワード。聞いてくれ!」

「んだよ、ロイ!寝てんだから起こすな。どうせ、くっだらねぇことだろ?!」

 

エドワードは前の席に座ったロイをギロリと睨みつけるが、それに慣れっこのロイは気にもしない。

 

「さっき、ホークアイ先生をデートに誘ったのだが、返事の代わりに課題を貰ったんだ。」

ほら、とロイの手からプリントが机の上に落ちる。

「なぁ、先生はどういうつもりだと思う?」

 

「ア゛−!やっぱり、くだらねぇじゃねーか!俺の睡眠時間返せよ!」

「おいおい、くだらないことではないだろう?学校など恋をするために来ているようなものだ。」

「お前、頭、大丈夫か?」

 

エドワードは一応ツッコんでみたものの、目の前の恋多きナルシストはこれっぽっちも聞いちゃいない。

 

「お前にだっているだろう、気になる女性の一人や二人。」

 

ロイは、そういえばこの男からその手の話を聞いたことはなかったと、面白い玩具を見つけた気分で問いかける。

エドワードは何も答えず、再び机に伏せてしまった。

それではおもしろくないと、また起こそうとして、ロイはエドワードの耳が赤いことに気が付いた。

そんなにうぶな反応をされては、余計に気になるというものだ。

 

ロイはニヤリと笑ってから、さもそれらしい声で囁いた。

 

「おい、エドワード。大変だ。君の好きな人が告白されているぞ。」

 

それを聞いて、おもしろいくらいの勢いで身体を起こしたエドワード。その顔は、かなりの凶悪面。

首を動かして、教室の前方をギッと見やる。

 

しかしそこに広がっているのは、数分前に見たのと同じ、女子達が机を囲んで弁当を食べているいつもの昼休みの光景だった。誰も告白などされていない。

 

エドワードの顔は一瞬ポカンとなって、それからすぐにロイを睨みつけた。

ロイはというと、女子達を見てニヤニヤしている。

 

「成程な。君が好きなのは、あの中の誰かということか。」

 

エドワードはグッと言葉を飲み込んで、だんまりを決め込んだ。

これ以上ボロを出せば、カンのいいロイのことだ、すぐに誰だかバレてしまうだろう。

 

まるで威嚇する猫みたいなエドワードを視界の端に捉えたまま、ロイは女子達の方へと意識を向ける。

 

その輪の中には、エドワードの幼馴染みもいた。

他には、運動神経のいい黒髪の少女、読書好きの天然、薄紅色の髪の美人、大陸からの留学生と様々だ。

そして最後に、エドワードと同じ金髪金眼の、彼女。

 

 

 

完全にふて寝した友人へと視線を戻して、自分から恋愛相談をしにくるまではじわじわちょっかいをかけてやろうと、心に決めたロイだった。

 

 

 

 

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