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――― 離れられない、運命だから 2 ―――
鋼の錬金術師が行方不明となって、1ヶ月が過ぎた。
そんなある日、リゼンブールではいつもと変わらない穏やかな午後を迎えようとしていた。 空は青く澄み、吹き抜ける風は肌に心地よい。
静かに時が流れる中、ロックベル家の玄関戸が開く。 中から姿を現したのは、二人の金髪の少女。
「・・・アル、本当に一人で大丈夫?」 「うん、大丈夫だよウィンリィ。ちょっと散歩してくるだけだから。」 心配そうに尋ねるウィンリィに、アルと呼ばれた少女は笑顔を返した。
「まだ体力だって完全に戻ったわけじゃないんだから、苦しくなったらすぐに帰ってきなさいよ。」 「心配しなくても大丈夫だよ。・・・それに早く体力つけなきゃいけないんだから、もっと運動しなくちゃ。」 「それは焦らなくてもいいんじゃない?遠慮なんかしないで、うちでゆっくりしていけばいいわ。」 ウィンリィの言葉に、アルフォンスは首を横に振った。胸元まで伸びた金髪が、それに合わせて柔らかく揺れている。 「・・・早くここを出なきゃいけないんだ。何だか、もうすぐ兄さんがここに帰ってくるような気がするから。」 「え・・・でも、エドはしばらく帰らないと思うって、アル言ってたじゃない。」 ここで、アルフォンスは少しだけ口を噤んだ。 そして言葉を選びながら、自分に言い聞かせるように呟く。 「・・・・・・あの時は、ここに帰ってくる勇気なんて無かったと思う。けど、ちゃんと心の整理がついたら・・・兄さんはここに帰ってくると思うんだ。あの人は・・・僕と違って、・・・本当に強い人だから。そろそろ全部を受け入れる覚悟ができたんじゃないかな・・・。」 いったん言葉を切ったアルフォンスは、ウィンリィの心配そうな眼差しから逃れるように彼女に背を向けた。 「・・・だから僕は、早く元気になってどこかに行かなきゃ。・・・どこか、兄さんのいない所に。本当、迷惑かけてごめんね、ウィンリィ。ありがとう・・・。」 振り向いたアルフォンスは静かに微笑んで、ゆっくりと歩き出した。
小さくなってくその後姿を見送りながら、ウィンリィは心もとなさで胸が騒いだ。 今でも時々、思ってしまう。 あの少女の姿をしたアルフォンスは、幻なんじゃないかって。 医者である自分がそんな事を思うのはおかしいけれど、それほどまでにアルフォンスの存在感は細く頼りなく、些細な衝撃で消えてしまいそうなくらいに、儚かった。
迷いを振り切るように、ただ歩いていく。 目的地なんて無かったけれど、足が自然と森の方へと向かっていた。 落ち葉を踏みつつ木漏れ日が注ぐ小道を通り抜けると、やがて小さな池へとたどり着く。 池のそばには大きな木があり、アルフォンスはその根元に腰を下ろした。 きらきらと輝く水面を見つめ、そっと呟く。 「・・・懐かしいなぁ。小さい頃は、よくここで遊んでたよね・・・」
―――兄さんと、一緒に・・・。
それだけは音にならず、アルフォンスの思い出の中へと溶けていった。 唇だけを動かして、「にいさん」と紡ぐ。 そうすると、何だ、と言って振り向く兄さんの笑顔が瞼に浮かんだ。 アルフォンスはその残像を振り払うかのように、一度きつく目を閉じそしてゆっくりと開く。
生まれた時から、ずっと一緒にいた兄さん。 今までこんなに離れていた事は、一度も無かった。 けれど、これからは一人で生きていかねばならない・・・。
アルフォンスはぎゅっと唇をかんで、自分に言い聞かせる。 「・・・僕だって覚悟を決めなきゃ。もう、あの人とは一緒にいられない。僕はもう・・・あの人の弟じゃないんだから・・・。」 ひとすじだけ、自然と涙が頬を伝った。 アルフォンスはただ、静かに目を閉じる。
「さよなら、兄さん・・・」
口には決して出せなかったけれど・・・。 僕はあなたのことが、大好きだった。 ・・・・・・今も、愛してる。
この瞬間に、兄さんは何をしているのだろう?
もしも、僕の死を悼んでくれるのなら・・・。 それはあなたにとっては辛いだろうけれど、僕には少しだけ嬉しくもあるよ。 それは僕という存在が、あなたにとって何らかの意味を持っていた証だから。
僕はもう、あなたの隣にはいないけれど。 ずっと、ずっとあなたの幸せを祈っているから。
大切なあなたに苦しい思いをさせてしまった、僕の我侭をどうか許して・・・。
いつの間にか眠ってしまっていたアルフォンスは、がさがさという音で目を覚ました。 木の葉のすれる音が、だんだんと近づいてくる。誰かがこちらへと向かっているようだった。 立ち上がったアルフォンスは、少しだけ身構える。 「村の人かな・・・?それとも熊とかだったら、どうしよう・・・。」 やがて、池を挟んだ向こう側の茂みが大きく揺れた。 そうして姿を現したのは、村の人でもなければ動物でもなかった。
アルフォンスは目を見開いたまま、動けなくなる。 辺りはいっせいに静まり、まるでそこだけ時が止まったかのようだ。 呼吸さえ忘れて、目の前に現れた人物を凝視する。 そこから目が、離せない。
それは一番、逢いたくなかった人。 そして一番、逢いたかった人。
蜂蜜色をした、きれいな金髪。 太陽の色を宿した、純粋な瞳。 アルフォンスを惹き付けてやまない、その存在感。
真っ直ぐな眼差しを目の前の少女に向けたまま、その青年も動くことができない。
アルフォンスの心臓が、ドクンと高鳴った。
それを契機として、アルフォンスは駆け出した。 青年に背を向けて、ただがむしゃらに走り続けて森を抜ける。はっと我に返った青年も、一瞬遅れてアルフォンスを追いかけた。
―――なんで、なんで、なんで・・・?!・・・兄さん!!
そればかりが頭の中で反響している。 涙が出そうになるのを必死で堪え、言いようのない切なさに顔が歪む。それと同時に口元が、ひとりでに緩んでいくのが自分でも分かった。
ずっと、ずっと逢いたくなかったのに、本当は嬉しかった。
また、ドクンと鼓動が響く。 あ・・・、と声にならない声が口から零れ、アルフォンスはバランスを崩した。 全身に力が入らなくなり、がくんと膝が地面に着いた。のどの奥から温かいものが流れてくる。右手で口元を押さえたけれど、指の間からは紅いものが流れて地面を血の色に染めていく。 目の前が霞み、意識が朦朧としてくる。 自分の名を呼ぶ声が、どこか遠くで響いているような気がした・・・。
そうして、アルフォンスの意識はプツンと切れた。
「なぁウィンリィ、アルは女の子になっちまったのか・・・?一体どうなってんのか教えてくれ、頼むから・・・!!」 そう縋るように言うエドワードを見て、ウィンリィは胸が締め付けられる思いがした。 以前より痩せていて、顔色もよくない。 普段からは想像もできない、今にも泣き出しそうな表情。 こんなエドワードの姿を、ウィンリィは知らない。 「・・・アルを抱き上げたとき、すげー軽くて・・・怖かった。アルは大丈夫なんだよな・・・?どうなんだよ、ウィンリィ・・・?!」 「・・・ちょっと落ち着きなさいよ!あんたが取り乱してどうすんの!」 強い口調で言って、ウィンリィはエドワードを椅子に座らせた。
口元を血で汚し、気絶したアルフォンスを抱えたエドワードが、ロックベル家に駆け込んできたのは半時ほど前のこと。それから急いで治療を受けたアルフォンスは、今はベッドの上で眠っている。 処置の間エドワードはずっとアルフォンスの手を握って離さず、うわごとのように名前を呼び続けていた。 そんなエドワードを、治療の終わったウィンリィは半ば引きずるようにしてリビングまで連れてきたのだった。
大きく息を吐くエドワードに、ウィンリィは温かいお茶の入ったコップを渡す。自分もそばの椅子に座り、エドワードが落ち着くのを待った。 「・・・ねぇエド、あんたは何であの子がアルだって分かったの?アルは何か、言ってた?」 静かな問いかけに、エドワードはハッと顔を上げた。 「いや、話す暇なんてなかったから、何も。・・・けど俺には、分かったんだ。あれは、アルだって。・・・そう、俺の魂が言ったんだ。」 さっきまでの様子とは異なり、はっきりと断言したエドワードを見て、ウィンリィはふっと息を吐いた。 「・・・やっぱり、あんた達が離れて生きてくなんて無理なのよ。・・・黙っててごめんなさい、エド。アルは絶対言わないでって言ってたけど、全部話すわ・・・。」
ウィンリィは静かに語り始めた。 「あれはちょうど1ヶ月前のことよ。電話がね、かかってきたの。」
1ヶ月前のその日、リゼンブールの空は薄暗い雲に覆われていた。 今にも雨が降り出しそうな午後、作業台で機械鎧の修理を行っていたウィンリィのもとに、一本の電話がかかってきた。 「もしもし・・・あら駅長さん?」 電話の相手は慌てた様子の駅長で、とにかくすぐに駅まで来て欲しいとのことだった。 ウィンリィが治療道具を持って駆けつけると、駅長室のソファの上に一人の少女が寝かされていた。少女は薄汚れたサイズの合わない服を身に纏い、頭から布を被っていた。その布から覗く口元は血の気が引いて白く、少し零れる金髪は艶を失っていた。 ウィンリィはその異様さに一瞬怯んだが、不思議と嫌な感じはしなかった。 「・・・この子、一体どうしたの?」 「さっき着いた汽車から降りてきたんだが、改札のところで倒れちまって・・・」 少女は気絶していたが目立った外傷は無く、ロックベル家に連れて行ってから治療することにした。
体をきれいにして調べてみると、少女はどうやら栄養失調と過労のようだった。 その体は驚くほど細く、軽かった。 点滴を打ってしばらく様子を見ることになったのだが、少女は眠り続けた。 その青白い寝顔を見つめながら、ウィンリィはどこか懐かしいような気持ちに襲われていた。 その体は少女のものだと分かっているのに、少女の柔らかい金髪を撫でていると、今は体を失くした幼馴染のことが思い出されて切なくなった。 早く目を覚まして・・・。 そんなウィンリィの祈りに応えるように、少女が目覚めたのは3日後のこと。
「・・・ウィン・・リィ・・・」 少女の小さな呼びかけに、ウィンリィは一瞬自分の耳を疑った。 開かれた瞳の色も、名前の呼び方も、その声も。 自分の幼馴染と同じだったのだ。
「・・・アル?・・・あなた、アルなの?」 驚いて顔を覗き込むウィンリィに、少女――アルフォンスは小さく笑って頷き返した。
そこまで話し終えて、ウィンリィはいったん言葉を切った。 「アルは、すごく体が弱ってた。最初は胃が受け付けなくてご飯も食べられなかったし、体も上手く動かせなかった。毎日訓練して、今ではだいぶ普通の人と同じようになってきたけど・・・。」 そこで、黙って話を聞いていたエドワードが口を挟んできた。 「・・・アルは、女の子になってるのか?」 「うん。色々と調べてみたけど、今のアルは完全に女の子になってるわ。」 エドワードは俯いて、ぎゅっと自分の拳を握った。 「・・・何で?・・・何でそんなことになってるんだ?・・・・・・それにどうして、アルは俺の前からいなくなったりしたんだ・・・。」 苦しそうに歪められる顔を見て、ウィンリィは躊躇いがちに口を開く。 「・・・どうしてそんなことになったのかは、あたしには分からない。アルは人体錬成のせいだって言ってたけど。・・・アルはそれについてはしゃべりたがらなかったし、辛そうな顔をするからあたしも聞けなかった。でも、一度だけ聞いたのよ、エドはどうしたのって。そしたらアル、泣きそうな顔して、もう兄さんには会わないって言ったのよ・・・。」 エドワードはハッと顔を上げて何か言おうと口を開いたが、唇が震えていて何も言うことができなかった。 リビングには、長い長い沈黙が流れる。
窓の外では、世界がオレンジ色に染まり始めていた。
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