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――― 離れられない、運命だから 3 ―――
アルフォンスはゆっくりと瞼を開いた。 ぼんやりと、白い天井が見える。辺りを見回せばそこは、ウィンリィが自分のために貸してくれている部屋だった。 緩慢な動きで上半身を起こしてみると、少しだけ体がだるい。まだはっきりとしない思考をめぐらせて、状況を理解しようとする。 すると突然、兄の姿が頭をよぎった。
「・・・そうだ、にいさん・・・・・・」
よく思い出そうとするけれども、その残像は断片的で曖昧だった。 まるで、夢でも見ていたかのように。
「あれは、幻だったの?・・・本当は兄さんに会いたいっていう、僕の心が見せたものなの・・・?」
ゆるゆるとベッドを抜け出して、1階へと降りる。 リビングの方から話し声が聞こえてきて、アルフォンスはそちらへと足を向けた。少し開いたドアの隙間から中をうかがえば、ウィンリィと・・・見間違うはずも無い、兄の後ろ姿が見えた。
・・・やっぱり、夢なんかじゃない。 とうとう見られてしまった。 兄さんに、この姿を。
ふらふらと後ずさりながら、アルフォンスはそれだけを理解した。途端に涙が零れ始めてきて、急いでリビングを後にする。そのまま裏口へと向かい、静かにドアを開けた。
外に出てみれば、世界が夕日に染まり始めていた。
コンコンと、遠慮がちなノックの音。 「・・・アル?・・・入るわよ。」 ドアを開けた瞬間に、目に飛び込んできたのは空っぽになったベッド。 それを見た途端、ウィンリィは自分の心臓が止まるかと思った。急いで家の中を探すものの、アルフォンスの姿はどこにも見えない。
エドワードはウィンリィが呼び止めるのも聞かずに、部屋を飛び出した。 確証なんて無くてもわかる、アルはきっとあそこにいる。 そう思い、ただ走った。
オレンジ色に照らされる、自分の家の残骸。 そのそばにアルフォンスがたたずんでいる。 エドワードは切らした息を整えながら、妹になってしまった弟の姿を見つめた。 こちらに背を向けているので表情はわからない。 近づいてくるエドワードの足音に、アルフォンスの身体が少し震えた。 静寂を壊さないようにそっと囁かれる、特別な言葉。
「・・・・・・アル。」 ひときわビクンと身体が震えた。 けれどアルフォンスは振り返ることもなく、逃げ出すこともなかった。
きっとこの人からは、逃げられない。そしてこの罪からも、逃げることは許されない。 そういう運命なんだろう、と思った。
エドワードの足音が近くなり、すぐ後ろで止まる。 さらさらと風が吹き抜けた後、アルフォンスは後ろから抱きしめられた。表情は見えないが、吐息がかかるほどすぐそばに互いの顔がある。エドワードは何度も自分の弟の名を囁き、細い身体をいっそう強く抱きしめた。伝わってくる柔らかい心地よさ、温かい体温。ずっと手に入れたかったもの。 愛おしそうに抱きしめる兄とは対照的に、アルフォンスの心には不安が広がっていく。
「・・・アル。・・・なんで俺の前からいなくなった・・・?」 少し怒ったような口調でエドワードが呟く。 アルフォンスは無言のまま兄の腕を振りほどき、少し離れてエドワードと向かい合う。 そうして、やっと二人は正面から見つめ合う。
アルフォンスはエドワードのほうが背が高いということに気づき、少しだけ可笑しくなった。 この間までは、自分が兄を見下ろしていたのに。 こうして見て見ると、もう小さいとは言えないし、顔つきも随分と大人びていて、なんだか知らない人のように思える。 変わっていく兄。それは自然なことで、流れに沿ったことで ・・・。 変わってしまった自分。 変わりすぎてしまった自分。 それは不自然なことで、流れに逆らったことで。 兄はなんと言うだろう、この不自然な自分に。 ・・・アルフォンスは震える指を握り締め、やっとのことで口を開いた。
「・・・・・・僕の気持ちなんて、誰にもわからないよ。」 反射的に口を開きかけたが、エドワードは何も言えなかった。 「あの日、鏡に映った自分の姿を見て、僕は絶望した。僕のこの身体・・・。どう見ても僕は失敗作だったから。こんな僕の姿を見た兄さんがなんて思うか、考えただけで恐ろしかった。」 そう言ってアルフォンスは自分の体を抱くようにし、震える指先に少しだけ力を込めた。けれども真っ直ぐに兄を見据えることはできなくて、目線を地面へと落とす。 「・・・・・・だから、逃げた。」 絞り出されたような言葉に、エドワードの目が見開かれる。 アルフォンスは覚悟を決めたように、淡々と語り始めた。
「兄さんは気絶してたから練成の結果を知らない。今、僕が消えれば、もう兄さんだって諦めると思ったんだ。やっぱり人体練成は成功しない、だから僕は死んだんだって。・・・そう思いながら、兄さんは一人でも生きていってくれると思ったんだ。」 「何だよそれ・・・!訳分かんねぇよ!!諦める・・・?俺がそんなことする訳ないだろ!?」 エドワードはアルフォンスを見据えたまま、怒鳴るように言い返した。 今まで溜め込んでいたものが、抑えきれなくなって一気に溢れ出す。 「・・・・・・お前は本当に俺が一人でも生きていけると思ったのか・・・?そんなの無理に決まってんだろ・・・!俺はアルがいなきゃダメなんだよ・・・。アルがいなきゃ・・・生きてる意味なんか無ぇんだよ。そんなことお前が1番よく知ってるだろ・・・?」 「・・・そうだね。知ってるよ。兄さんは僕がいなくても大丈夫だって。兄さんは強いから。・・・優しくて、強い人だから。」
感情的になっているエドワードを見返しながら、アルフォンスは静かに答えた。 兄が自分を頼りにしてくれていることは、本当に嬉しいと思う。 けれど、兄が一人でも生きていけると思うのは自分の正直な気持ちで、事実だとも思う。兄は一人でも大丈夫だと思ったからこそ、自分は兄から離れたのに。 こうやって巡り会ってしまう運命を、アルフォンスは恨めしく思った。
やけに冷静なアルフォンスに、エドワードは自分の気持ちが荒むのを抑えきれない。 自分が失敗作だって?・・・冗談じゃない! 俺が諦めると思った?・・・ふざけるなよ、アル!何でお前はそんなことを・・・。 ・・・・・・いや、違う。 違うんだ、本当は。 そんな言葉が聞きたかったんじゃない。そんな言葉を伝えたかったんじゃない。 俺はただ、アルフォンスに会いたかっただけなんだ。 それなのにどうして、お前は俺から離れていこうとするんだ?なんで、昔のようには戻れないんだ・・・? 今と昔で変わってしまったのは、お前の体だけ。 たったそれだけのことだろ・・・? だとすれば、それさえ元に戻れば・・・
「・・・・・・アル。俺が今度こそちゃんと元に戻してやる!絶対元の」 「それが嫌だったんだよ!!もう兄さんの枷になるのは沢山だ!!」 エドワードの言葉をさえぎって、アルフォンスは何かがプツンと切れたように声を荒げた。 「兄さんは優しいから、そう言うと思ったんだ・・・。でもそしたらまた兄さんを縛ってしまう。僕は兄さんに幸せになって欲しいんだ。もう僕のために犠牲にならないで・・・。兄さんの人生を自由に生きてよ・・・。僕のことはもういいんだ。だから今度は兄さんが幸せになる番なんだよ。兄さんの望むように生きて、幸せになってよ・・・。お願いだから・・・。」 こらえきれなくなった気持ちが、涙と一緒に溢れ始めた。 「・・・こんな僕の姿を見たら、兄さんは絶対俺が元に戻してやるって言うと思ったんだ。兄さんは、優しいから・・・。でも僕はそんなこと望んでない。もう僕のせいで兄さんが犠牲になるのは見たくなかった。・・・だから、逃げたんだ。・・・だから、・・・」 涙で言葉が詰まるアルフォンスを、エドワードはもう離さないといわんばかりの強い力で抱きしめる。 アルフォンスはもう一度振りほどこうとしたが、今の力では敵うはずも無かった。
抱き合ったままの二人を、懐かしいリゼンブールの風が撫でてゆく。 「・・・・・・アルはこの身体が、辛くはないのか?」 問いかけるエドワードの声にはまだ苦さが残っていたけれど、とても静かだった。 「・・・仕方ないよ。僕達は罪を犯してしまったんだから。けどそれよりも今、兄さんの温もりを感じられることがすごく嬉しい。ご飯を食べたり眠ったり、笑うことも、泣くことだってできる。それが本当に、幸せなんだ。・・・だから僕は、辛くなんか無いよ。それに兄さんも分かるでしょ、僕の体温。ちゃんと温かいでしょ・・・?」 「ああ。ちゃんと分かるよ、アル。お前がこれでいいなら、もう何も言わない。だからもう、どこにも行くな・・・。俺はお前がいないと幸せになれないんだ。」 エドワードの真摯な言葉が、アルフォンスを不安から解放してゆく。 少しだけ体を離して見つめ合い、どちらからともなく微笑んだ。 すると、アルフォンスの体が僅かに揺れる。 気が抜けて崩れそうになったアルフォンスを、エドワードは慌てて支えた。 「・・・っ大丈夫か、アル?!」 「・・・・・・ごめん。大丈夫だよ。ちょっと疲れちゃったみたい。」 はにかんだような笑顔に、エドワードはほっと息をつく。 そして軽々と身体を抱きかかえると、戸惑うアルフォンスに声をかける。 「・・・帰ろうか。」 少しだけ恥ずかしそうに、アルフォンスはうんと頷いた。
交わす言葉も無く、ただ二人で懐かしい故郷の夕暮れを心に刻む。 きっと一生忘れないだろう。新しい二人が再会した、今日の日の落日を。 その存在を、温もりを、全身で確かめるように、エドワードは抱きかかえた腕に力を入れた。それに応えるように、今度はアルフォンスがそっと寄りかかる。 辺りを闇が包み始めたころ、ロックベル家の明かりが見えた。
「・・・・・・ねえ兄さん。・・・兄さんは僕が女の子になってるって知らなかったのに、どうして僕のことがわかったの?」 自分を見上げて尋ねるさまが本当に可愛らしくて、どきりとした。 「・・・・・・アルを、愛してるから。」 少しだけ躊躇われがちに紡がれた答え。 少しだけ含まれる、切なさ。 けれどアルフォンスは、そんなエドワードの様子に気付かない。 「そっか。僕たちたった二人の兄弟だもんね。・・・僕も兄さんが大好きだよ。」 嬉しそうに微笑むアルフォンスの無邪気な言葉に、少しだけエドワードの顔が曇る。 よほど疲れたのか、兄の言葉に安心したのか、アルフォンスはゆっくりと瞼を閉じた。穏やかなその表情とは裏腹に、エドワードの心には一層切なさが募ってゆく。 狂おしいほどかき乱された想いが、どうしようもなく胸を焦がす。
「・・・お前の好きと、俺の愛してるは、同じじゃねぇんだよ。」 エドワードの小さな呟きは、眠りについたアルフォンスに届くことは無く、宵闇の底へと溶けた。
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