――― 離れられない、運命だから 4 ―――

 

 

 

何事もなかったかのように日は昇り、いつものように迎えるはずだった朝が、今日は少し違っている。

 

「ちょっとエド!牛乳ちゃんと飲みなさいよ!」

「朝からうるせぇんだよ!つうかそんなモン出すな!!」

「ったく、少しは大人になったかと思ったのに、やっぱりガキのまんまね。」

「うっせーな、もう背は伸びたんだし、牛乳なんて飲まなくていいんだよ!」

「何言ってんの?!あんたの背なんてまだ低い方でしょ?」

 

朝っぱらから扉の向こうで交わされる会話に苦笑しながら、アルフォンスはドアノブを回した。

「おはようウィンリィ、・・・兄さん。」

「あ、おはようアル。よく眠れた?体は大丈夫?」

駆け寄ってきて心配そうに尋ねるウィンリィに、アルフォンスは笑顔を返す。

「うん、大丈夫だよ。心配かけてごめんね?僕、お腹すいちゃったんだ。」

「消化によさそうなもの作ったんだけど、食べられそう?」

ウィンリィの問いにうんと答えて、アルフォンスは兄の向かいの席に腰を下ろした。

ずっとこちらを凝視していたエドワードに目を向けると、エドワードはバツが悪そうにフイと目線を逸らした。

「アルー、お待たせ。よく噛んで食べるのよ。」

「ウィンリィ、僕、子供じゃないんだから・・・。」

そう言ってアルフォンスは苦笑しながらも、ゆっくりと食べ始めた。

 

おいしそうに食べる様子を見ながら、ウィンリィは隣に座って微笑んだ。

そしてさっきから黙りこくっているエドワードの方を見て、一瞬固まってしまった。

 

「ちょっとエド!あんた、泣いてんの?!」

ウィンリィの言葉の意味を理解し損ねたエドワードは、ぽかんとしている。

そっと頬に指を当て、濡れているのに気付いて大いに目を見開いた。

「・・・な、んで・・・俺・・・涙なんか・・・・・・」

呆然と自分の指先を見つめていたエドワードは、カタンという音で目線を上げた。

その先には、大粒の涙を流す、アルフォンスの姿があった。

 

「・・・っアル?!どうした?!どっか痛いのか?」

ガタンと椅子から立ち上がったエドワードは、急いでアルフォンスのそばへ寄り、その顔を覗き込む。

アルフォンスはそんなエドワードに、ぎゅっと抱きついた。

「へっ、アル?!ど、どうしたんだ・・・?」

「・・・だって、兄さんが・・・泣いてたから・・・。」

「お、俺?・・・俺は、アルがメシ食ってるの見て、・・・何か嬉しくて、それで・・・勝手に涙が・・・」

「僕は・・・兄さんが泣けるようになったのが、嬉しくて。・・・もう泣きたくても、我慢しなくていいんだって思ったら、ほんとうに嬉しくて・・・。」

顔を赤くして困惑するエドワードをよそに、その胸に顔をうずめたままアルフォンスはしゃべり続ける。

「・・・本当は泣きたいくせに、泣けない兄さんを見ているのは・・・辛かった。・・・だから早く元に戻って、二人で泣けたらいいのにって、思ってたんだ。・・・だから兄さんが泣いてるのを見て、良かったなぁって・・・思って・・・」

エドワードは両手でアルフォンスを抱き返し、しばらく二人はそのまま泣いていた。

 

 

 

 

そんな朝食の後、エドワードはソファに座って新聞を広げていたのだが、その目線は後片付けをするアルフォンスの姿をずっと追いかけていた。

それだけ露骨に見つめられると、さすがにアルフォンスも気になる。

「・・・兄さん、さっきからずっと僕のこと見てるけど、何か用?」

「ちょっと、エド!アルが穢れるから止めてよね!どうせ変なことでも考えてるんでしょ?」

ウィンリィの物言いに、エドワードの表情がむっとなる。

「おい、ウィンリィ!人を変なものみたいに言うな!」

「何よ、あんたはどっからどう見ても変人よ!」

またさっきの続きが始まってしまいそうなので、アルフォンスは苦笑しながらエドワードをなだめて、隣に腰を下ろした。

 

 

「で、何か用?」

無邪気に顔を覗き込むアルフォンスに、エドワードは少し顔を赤らめた。昨日はそんな余裕がなかったから気にしていられなかったけれど、こうしてよく見てみると本当に可愛いと思う。

確かに弟だった頃からすでに可愛かったのだが、妹になってこんなに愛らしい姿になっているとは思いもよらなかった。

 

「・・・あの、その・・・えっと・・・、ちょ、ちょっと触ってもいいか・・・?」

「うん、いいよ。」

アルフォンスは頷いて、自分の手を差し出した。エドワードはその手をとって、しげしげと眺める。

「温かいし、柔らかいし、きれいだし・・・。ウィンリィのとは大違いだな。」

最後の方は小声で呟いたものの、飛んできたスパナはきれいにエドワードをとらえた。

今度ばかりはさすがに言い返せず、エドワードは無言で痛みに耐えた。

そんな二人のやり取りを見て、アルフォンスはこっそりため息をこぼした。

 

「どっか体で不自由なところはねぇのか?」

「ウィンリィにいろいろ調べてもらったんだけど、ちょっと体が弱いくらいであとは大丈夫だって。今はあんまり体力もないんだけど、もうちょっと訓練すれば普通の人くらいにはなると思う。」

「そっか、良かった。」

ほっと息をつくエドワードとは対照的に、アルフォンスの顔が少し曇る。

「・・・ただ、・・・子供は産めないんだって。・・・ちょっと残念だよね。せっかく女の人の体になったのに。」

淡々と話される言葉に、エドワードの表情が凍りつく。

「・・・ごめん、アル・・・・・・」

「だから、これは兄さんのせいじゃないんだよ。そんな泣きそうな顔、しないで。」

兄の頬にそっと触れた妹は、少し困ったように笑った。

 

 

 

 

 

穏やかな午後、部屋の中ではカチャカチャと金属の触れ合う音が響いている。

昼食の後、アルフォンスは自室で強制的に休まされており、エドワードは機械鎧の整備を受けていた。

 

「・・・じゃあアルは、これ以上あんたに無茶して欲しくなかったから、いなくなったっていうのね?」

「あぁ、そういうことらしい。」

「・・・・・・・・・」

「自分の方が大変なのに、いつも俺のことばかり心配してて・・・。本当アルは優しいよな・・・。それに精神的に俺なんかより全然大人だし。・・・正直自分だったら、あんなに冷静じゃいられなかったかも。・・・ん、ウィンリィ?」

急に手を止めたウィンリィを、エドワードは訝しげに見上げた。

「それには・・・あたしも驚いた。・・・あの子、弱音は一切吐かなかったし、自分の体が嫌だとか元に戻りたいだとかそういうことも一回も言わなかった。・・・普通ならもっと抵抗するだろうに、あの子はうちに来たときから自分の体のことを受け入れてた。」

「そういや、あいつスカートはいてたよな?順応性高いよなーと思ってびっくりした。あれ、お前がはいてみろって言ったのか?」

「・・・ううん、あたしじゃなくてアルが言い出したのよ。ウィンリィのそれ、可愛いねって。僕もはいてみたいなって・・・。」

「へぇ、アルがそんなこと・・・」

 

どうも腑に落ちない様子のエドワードを見て、ウィンリィはこいつも自分と同じように違和感を感じているのかもしれない、と思った。

最初は全く気付かなくて、アルフォンスの順応性の高さと素直な性格のせいだとばかり思っていた。

けれど日が経つにつれ、アルフォンスに対する違和感は大きくなっていった。

何かを隠しているような、無理をしているような気がして、それがずっとウィンリィの心に引っ掛かったままになっている。

 

「・・・・・・ねぇ、エド。あんたアルのあの格好見て、どう思う?」

「・・・ど、どうって・・・。正直、似合ってるし可愛すぎるし、妙な気分になるんだけど・・・って、痛!!」

ウィンリィは思いっきりエドワードを殴った。

「この変態!!そういう話じゃないの!アルが自分からそんなこと言うなんて、何か変じゃないって聞いてるの!」

「・・・・・・・・・」

「あたしだって最初は、アルが一生懸命頑張ってるからだって思ってた。・・・けど途中から怖くなったのよ。アルが無理矢理変わろうとしてるみたいに見えて・・・・。何だか自分があんたの弟だったってことを忘れようとしてるみたいで・・・怖かった。それにあれって、本当は自分のことなんてどうでもいいって思ってるようにも見えない・・・?別に自暴自棄になってるわけじゃないけど、時々、生気のない目をしてるのよ、あの子・・・。」

「・・・俺には、正直アルが何考えてるかなんてわかんねぇ。・・・錬成する前は、もっとお互いのこと分かり合えてたのに。・・・アルフォンスに置いていかれて、すげーショックだった。アルだけは、どんなことがあったって、そばにいてくれると信じてたから・・・。」

「あたし、アルがあんたから離れた理由、他にもあるんじゃないかって思うの。・・・あの子、一人でいるときはいつも辛そうな顔してたの。だから、何度もどうしたのって、聞こうと思った。けどやっぱり、そこにあたしは踏み込んじゃいけない気がして、結局何も聞けなかった。・・・・・・だからエド、お願い。きっとあんたじゃなきゃ駄目なのよ。・・・アルを早く、助けてあげて・・・!」

ウィンリィの言葉に、エドワードは黙って頷いた。

 

 

 

 

 

無数の星達が煌く澄んだ夜空に、丸く大きな月が座している。

とても静かな夜だ。

アルフォンスはベッドの上で上半身を起こし、月を見上げて思う。

リゼンブールの夜はいつも静かなのだけれど、この1ヶ月間アルフォンスにとって夜は、ざわざわと落ち着かないものであった。

夜が深くなればなるほど、自分が一人きりであるということが身に沁みた。

孤独感に襲われてはそれを振り払うかのように様々なことに思いをめぐらして、結局自分で自分の心をかき乱し、それを繰り返す。

毎夜ざわざわとした波が心に押し寄せ、それを防ぐ手立てを持たないアルフォンスはただじっと耐えることしかできなかった。

けれど、今夜の心は何とも穏やか。

そしてその理由を、アルフォンスは分かりすぎるくらいに理解していた。

 

 

コンコンというノックの音が薄暗い部屋の中に響き、アルフォンスはドアの方に目を向けた。

「アル、入るぞ。」

「どうぞ。」

エドワードはそっと扉を閉めて、ベッドのそばまで歩み寄った。

部屋に明かりは灯されておらず、青白い月明かりがアルフォンスの姿を浮かび上がらせている。その様は儚く美しくて、エドワードはほんのひととき、見とれてしまった。

 

「・・・気分はどうだ?」

「全然平気だよ。ウィンリィが寝てろって言うから大人しくしてたけど、もう元気になったから大丈夫だよ。」

兄を見上げて話すものの、目は合わせられないままだった。

「兄さん、何か用?」

妹を見下ろしたまま、エドワードは一度開きかけた口をいったん閉じた。

 

・・・まだ、迷っている。

あの錬成の日のことを尋ねたくてここを訪れたはずなのに、アルフォンスがウィンリィに言った「もう兄さんとは会わない」という言葉がまだ引っ掛かっていて、聞くのが怖かった。

でも、ずっとそこで迷っていても仕方がない。

 

「・・・アルは何で、ここに帰ってきたんだ?」

「えっと・・・体を、ウィンリィに調べて欲しくて・・・、自分じゃ無理そうだったから。・・・それにここなら、兄さんに会わずにすむと思って・・・、それで・・・」

勝手に姿を消したことを責められているみたいで、アルフォンスは俯いてしまった。

「何でそう思ったんだ?」

「ここには、僕との思い出がありすぎて辛いだろうなって思ったから・・・。一度にいろんなことが起こりすぎて混乱してるから、いったん冷静になりたいって兄さん思ってるんじゃないかなって。そしたらここって、一番冷静になれない場所だなって思ったの。」

「・・・はは、当たってるよ。ここにはやっぱり、帰りづらかった。」

聡明な妹に感心しつつも、エドワードは苦笑してしまった。

それは自分達の心が通じ合えている証拠なのか、それとも自分がただ分かりやすいだけなのか。

その答えが前者ならば、嬉しいのだけれども・・・。

 

「兄さんは、どうしてたの・・・?」

「いや、あんま覚えてねぇんだ・・・、なんかぼうっとしてたし。でもいつも、無意識にアルのこと探してた。」

「・・・僕が死んだってこと、疑ってたの?」

「どうだろうな、死んでないって信じたかっただけかもな。・・・けど俺の魂は、お前が死んでないって知ってたんだ。だって俺、一回も泣かなかった。」

「え、じゃあ今朝・・・」

「そ、何年ぶりだろうな、泣いたのなんて。」

驚くアルフォンスに、エドワードは笑ってみせた。

「もう、我慢しないでね?」

「お前もな。兄ちゃんの胸なら、いつでも貸してやるぞ。」

二人で楽しく笑いあえる日が来るなんて、思わなかった。

一度失くしたものだからこそ些細なことすら、とても愛おしく思える。

 

 

「・・・もう寝るか?」

「そうだね、ウィンリィに早く寝ろって言われてるし。」

「・・・じゃあ、おやすみのチューしてやろうか?」

少しふざけたように言うエドワードに、アルフォンスは恥ずかしそうに笑いながらもうんと頷いた。

「アル、おやすみ。」

エドワードにとってそれは、単なる思い付きにすぎなかった。

二人とも生身の体でリゼンブールにいることと昔のように笑いあえたことが子供の頃を思い出させ、夜の静けさが母の暖かいおやすみのキスを思い出させた。

母の死後は寂しさを紛らわせるように、互いにキスを送って眠りについていた。

それはただ、そんなことを懐かしく思い出したにすぎなかったのに・・・。

 

エドワードは昔のように頬にキスをしようとして、妹の顎にそっと左手を添えた。

その仕草につられて、アルフォンスも瞼を閉じる。

・・・目を伏せて、ほんのりと頬を染めるその様はまるで・・・・・・

まるで、口付けを待つ恋人のよう・・・。

そう思った途端、エドワードの中の欲が、ぞくりと疼いた。

心臓が煩いくらいに高鳴って、胸が苦しい。

一瞬で理性が飛んでしまったかのように、何も考えられない。

そしてエドワードは、引き付けられるかのように。

自分のそれを、妹の唇へと、・・・重ねていた。

 

 

 

 

自分の部室に戻ったエドワードはバタンと乱暴にドアを閉め、一気に力が抜けたかのようにずるずるとその場にへたり込んだ。

左手で口元を覆い、体中が火照ったまま心臓はばくばくと一向に静まらない。

自分は一体、何と言うことをしてしまったのだろう・・・!

 

アルフォンスを驚かせたことに対して、罪悪感はある。

けれどそれより、何よりも・・・。

唇に触れた瞬間の、体の底から湧き上がってきたあの快楽。

また、思い知らされる。

自分はアルフォンスのことを、愛しているのだと・・・。

 

 

部屋に残されたアルフォンスは、動くことができなかった。

兄が黙って出て行ったドアの方を見つめながら、呆然としている。

体が痺れるような・・・この感覚は一体・・・

 

キスのせいなのか?兄のせいなのか?

・・・答えならもう、自分の心が知っていた。

 

 

 

 

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