――― 離れられない、運命だから 6 ―――

 

 

 

翌朝、朝食を済ませたエドワードは早々にロックベル家を後にした。

 

エドワードは玄関先で見送ってくれたウィンリィとばっちゃんに礼を述べ、セントラルで落ち着いたら連絡することをきっちりと約束させられた。

そんな二人とは対照的に、ウィンリィの隣にいたアルフォンスとは結局まともに目も合わせられないまま、体を大事にしろよとだけ小さな声で伝えた。対するアルフォンスの答えも、元気でねという短くて素っ気無いものだった。

それを聞いたエドワードはちょっと淋しそうに笑って見せ、それから駅へ向かって歩き出した。

 

 

まだ兄弟が旅をしていた頃、何度かロックベル家を訪れる機会があった。

大抵はエドワードが腕を壊しての訪問だったから、ウィンリィの怒号と共に出迎えられ、滞在中も賑やかな時間を過ごすことになった。

修理が終わって旅立つ時、ウィンリィとばっちゃんはいってらっしゃいと言って二人を見送った。それに応えるように、アルフォンスは振り返って大きく手を振った。けれど一方のエドワードは振り返ることも無く、いつも片手を挙げるだけだった。

一度だって振り返らない様が、ただひたすらに前を目指し続ける彼らしいと、ウィンリィはいつも思っていたのだ。

それなのに・・・

 

 

まだ十メートルも進んでいないというのに、エドワードは足を止めて振り返った。

 

そしてその目がアルフォンスを捉えた途端、くるりと前を向き直してまた歩き始める。

何度かそんなことを繰り返して、とうとうエドワードの姿は見えなくなった。

そんな兄の姿を、アルフォンスは黙って見つめていた。

 

 

 

 

 

その後しばらくしてから、アルフォンスは生家跡を訪れていた。

少し強い風が、長く伸びた金髪をさらっていく。周りには誰もいなくて、風の音だけが響いている。

あぁ自分は今、一人きりなんだと思った瞬間、堪えていた涙が溢れてきた。

さっき見た、兄の顔を思い出す・・・。酷く、淋しそうだった。

 

自分の我侭のせいで、兄にそんな思いをさせてしまったことが心苦しい。

そしてなにより、淋しいと悲鳴を上げるのは自分の心の方だった。

さっき別れたばかりなのに、もう会いたいなんて思ってしまう。

一ヶ月間兄と離れてみてよく分かったのだ。自分はやっぱり兄と一緒じゃなきゃ、生きていけない。

たった一ヶ月でさえ耐えられなかったのに、この先の人生を兄無しでどうやって過ごせばいいんだろう?

 

優しくて家族思いの兄のことだから、離れて暮していてもきっとアルフォンスに会いに行こうとするだろう。

でもアルフォンスには、もう兄に会うつもりは無かった。

どこか兄に見つからないところを探して、場所は明かさずに心配をかけない程度に手紙を書こうと思っていた。手紙なら、まだ何とかなるだろう。

でも、きっと電話じゃ駄目だ。その声を聞いただけで、また会いたくなってしまう。

まして実際に会う、なんていうのはもっての他だ。よりいっそう、離れられなくなってしまう。

 

 

・・・・・・あぁ、どうして僕は。

兄さんを、好きになってしまったんだろう・・・?

 

好きになってはいけない人だと、分かっていたのに。

どうしてこの想いを、断ち切ることが出来ないのだろう・・・?

 

涙が、止まらない。まるであの日の、雨みたいに・・・。

 

 

 

 

掌で溢れる涙を拭っていると、後ろから足音が聞こえたような気がした。

・・・誰が、走ってくるような音。・・・ウィンリィだろうか?

アルフォンスが顔を上げて振り返ろうとした瞬間、その体は背中から逞しい腕に抱きしめられた。

 

・・・それは生身の腕と、金属の腕。

その感触で、それが誰なのかを知る。

「なっ・・・!どうして・・・?」

驚いて振り返ろうとしたが、ぎゅっと強く抱きしめられて敵わない。

嘘だ、嘘だと頭の中で鳴り響く。けれど嬉しい、嬉しいと心が啼いた。

 

「泣くなよ、アル・・・」

大人びた低い声が、耳元で囁いた。その声に、吐息に、心臓がざわめく。

「な、泣いてなんか・・・ないよ・・・」

「嘘吐き、・・・こんなに濡れてる。」

そう言って、温かい左手がそっと頬に触れた。

「どう、して・・・?なんで・・・?」

「やっぱり、こんな状態のお前を一人になんてできない。」

「ううん、僕なら平気だよ。何ともないから・・・、だから」

「違うんだよ、アル・・・。さっきのは本音だけど、建前に過ぎないんだ・・・。」

「え・・・?」

エドワードは腕を緩めてアルフォンスと向かい合わせになり、二人の目が合った。エドワードの声が苦しげに歪む。

 

「一人になりたくないのは、俺の方。アルと離れ離れになるのが嫌なのは、俺の方なんだ・・・。」

「でも・・・、しょうがないじゃないか。僕達は、一緒にいられないんだもん・・・。」

アルフォンは俯いて、言葉を捜した。けれど上手く兄を説得できるような理由が、見つからない。

「それでも、俺はアルと一緒にいたいんだ。やっと手に入れたアルの温もりを、手放すなんてできない。」

「僕だって・・・、兄さんと一緒がいいよ。だけど・・・そんなの、無理だもん。」

 

兄の眼は、いつもの強い光に満ちていた。きらきらとした、太陽みたいに人を惹き付ける眼だ。

アルフォンスは鎧だった頃、その眼が好きだった。

まるで、迷子になった自分を照らす標のようだと思った。

けれど今は、その強すぎる光が眩しい。自分の不純さが暴かれるようで、ひどく恐ろしい。

 

「・・・・・・アル、俺のこと好きか?」

兄はとろけるような笑みを浮べて、そう尋ねた。

それに見惚れた妹は、思わず本音が見え隠れする言葉を零してしまった。

「うん、当たり前だよ。僕は、兄さんのことが一番好きだよ・・・。」

「アル、ひとつ確認したい。周りとか関係無しにお前の気持ちだけで考えたら、お前は俺と一緒にいたいと思うか?」

「・・・うん。」

「これから先も?ずっと?」

「・・・兄さんが、そう望むなら。」

その答えを聞いて、兄は極上の笑みを浮べた。

「それならアル、話は簡単だよ。関係がなくなったのなら、新しく作ればいいんだ・・・。」

「え・・・?」

 

「結婚しよう、アル。」

 

笑みを浮べたままの兄の顔を見つめて、妹は言葉を失った。

え?兄さん今、結婚って言ったよね?僕の聞き間違いじゃないよね?嘘でしょ?

 

「・・・な、に言ってるの?兄さんバカじゃない?」

「バカじゃねぇよ。ものすごく本気だ。」

兄の眼は、恐いくらいに真剣だった。

しかしその真剣さを兄の真意とは違う方向に読み取った妹は、あぁどうしてそうなっちゃうのと声を荒げた。

「そんなにたかが弟のそばにいることが大事なの?そんなことのために、兄さんは自分の人生を投げ出すって言うの?!」

「そんなこと、じゃない。俺の人生にとっては一番重要なことだ。」

「なにそれ?全然わけわかんないよ!!」

 

今にも掴みかかってきそうな勢いのアルフォンスを制するように、エドワードはアルフォンスの目をじっと見た。それから深呼吸をして、少し躊躇いがちに口を開く。

「・・・アルフォンス俺は、お前のことを、・・・愛してる。自分の愛してる人間が、自分のそばにいてくれるかどうかは、人生にとって重要なことだろ?」

「な、なに言ってるの、兄さん・・・。僕たち、兄弟なんだよ・・・?」

「それでも俺は、アルフォンスが好きなんだ。」

「嘘・・・、そんなこと信じられない。」

アルフォンスの心臓が、煩いくらいに高鳴る。有り得ないと思い続けて、否定し続けた状況が目の前に広がっている。だからこそ、それを容易に信じることができない。

本人に自覚は無いが、泣きそうな顔になってしまった妹を見て、エドワードは努めて諭すような優しい口調で言葉を返した。

「アールー?兄ちゃんが今までお前に嘘ついたことあったか?一回もないだろ?」

「それこそ嘘だよ、いっぱいあるもん!」

「うっ、そうだったっけ?・・・けどこれは本当だ。なんなら母さんに誓ってもいい。」

「ほんとう・・・?本当に嘘じゃない・・・?」

 

懸命に尋ねてくる妹は頬が上気し、いっそう愛らしく映った。早く返事が聞きたい。早くしないと、込み上げてくる切なさでおかしくなってしまいそうだ。

「アルだけを、愛してる。もうアルしか、愛せないんだ・・・。」

アルフォンスの顔色がぱぁっと明るくなる。けれどそれはほんの一瞬のことで、何かを思い出したようにはっとした後、絶望的な顔をして俯いてしまった。

小さな唇が震え、まるで自分に言い聞かせるかのように言葉が紡がれる。

「・・・でも僕は、兄さんに愛される資格なんてない。・・・僕は愚かで、醜くて、兄さんが思っているような人間じゃないんだ・・・・・・。」

「・・・アル?」

「・・・僕、あの日・・・人体錬成で自分の体が女になってるって分かったとき、嬉しいって思ってたんだよ。・・・この体なら、兄さんは僕のことを愛してくれるかもしれないって・・・。この体だけでも、愛してくれるんじゃないかって、そんなおぞましいことを考えてしまったんだ・・・!こんな醜い僕なんて、兄さんには相応しくないよ・・・。」

アルフォンスの言葉を聞いて、エドワードは思わず笑みを零しそうになってしまった。

あぁやっぱり、お前の魂は綺麗なまんまなんだなぁ・・・。

 

「・・・俺だって、同じだよアル。俺だって、お前がこのまま鎧だったら、ずっと一緒にいられるのになって何度も思ったよ。この気持ちが全部、綺麗な訳じゃないし、それでもいいと思ってる。」

「・・・本当に?」

「あぁ、だからアル、俺と結婚しよう。そうすればずっと一緒にいられるし、怪しまれないだろ?」

にこりと笑んだエドワードに対して、アルフォンスは少し不安そうな顔をした。

「でも・・・僕がアルフォンスだってばれないかな?」

「まさか女になってるなんて、さすがに誰も思わないだろ。確かに親しい奴ならお前とアルが似てるって気付くかもしんねぇけど、似てるからこそ俺がお前を選んだことに納得すると思うし。」

自分で言っておきながら、それは素晴らしい考えに思えた。さっきまで離れ離れになるはずだった運命を、あっという間に繋いでしまったのだから・・・。

 

「血が繋がってなくても、一緒にいる方法はあるんだよ、アル。俺と一緒に来てくれるか?」

「・・・うん。」

アルフォンスは漸く、幸せそうな笑顔を浮かべた。

「じゃあ改めて。・・・アルフォンス、俺と結婚しよう。」

「・・・はい、喜んで。」

 

 

 

 

 

「アル、入るわよ?もう荷物はまとめ終わったの?」

薄暗い部屋の中に入ってきたウィンリィに、アルフォンスは穏やかな笑顔を向けた。

「うん、もともと荷物なんてなかったからね。」

「確かにね。でもアル、服がこれっぽっちじゃ全然足りないわよ。せっかく可愛くなったんだから、おしゃれしなさいよね。」

「・・・うん、ありがとウィンリィ。」

アルフォンスがトランクに詰めていた衣類の殆どは、ウィンリィにもらったものだった。そのため数が少なく、これからの季節の変化についていけそうなものもあまり無い。

「あっちに着いたら、エドにいっぱい服買って貰いなさいよ。そんで、あたしに似合いそうなのがあったらこっちに送ってよね!あいつ金には困ってないし、遠慮は無用よ。」

 

ウィンリィは明るい笑顔をアルフォンスに向けた。

アルフォンスもつられたように笑んで、ウィンリィのこういう顔、好きだなぁと思った。明るい彼女の性格は、子供の頃から変わらない。その笑顔が、どれだけ兄弟の心の支えになってきたことか・・・。

特にアルフォンスにとってはこの1ヶ月間のウィンリィの存在は、本当に有難いものだった。精神的にも肉体的にも親身になって看護してくれ、自分の家族に接するように遠慮も無い。かといってアルフォンスの心に踏み込むことはせず、自分から話し始めるまで見守っていてくれた。

 

「・・・ウィンリィは僕らのこと、本当に認めてくれるの?僕らはやっぱり、間違ってると思う?」

そう尋ねてくる声が震えていて、ウィンリィは少し考え込んだ。

「・・・そうね、あたしにはあんたらが間違ってるかどうかなんて、分からないわ。」

「僕ね、兄さんのことが鎧の頃から好きだったんだ。でもこんな気持ち間違ってるって、体がなくて不安定な存在だから兄さんに依存してるだけなんだって、そう思い込もうとしてたんだ。でも、体が戻ったって、この気持ちは消えなかった・・・。」

アルフォンスの顔が、泣きそうに歪んだ。ウィンリィはそっと、その華奢になってしまった体を抱きしめた。

「・・・誰にも言えなくて、辛かったねアル・・・。でもこれからは、何でも相談して・・・。あたしはずっと、あんた達の味方だからね・・・。」

「・・・ありがとう、ウィンリィ・・・」

「あんた達が幸せになれるよう、ここで祈ってるわ・・・。」

 

そうだ、何が正しくて何が間違っているのかなんて、そう簡単には決められない。だから、あたしにできるのは、あんた達の味方になることくらい・・・。でもその代わり、何が起こっても、ずっと味方でいてあげるからね。

だから、あんた達は幸せになりなさい。そうじゃなきゃ、あたしも幸せになれないんだからね・・・。

 

 

 

 

コンコンと、ノックの音が部屋に響く。

「アル・・・?」

「・・・じゃあアル、おやすみ。」

入ってきた兄と入れ違いに、ウィンリィはさっさと出て行ってしまった。きっと泣き顔をエドワードにまで見られたくなかったのだろう。ウィンリィは相変わらず泣き虫だなぁと思いながらも、自分の頬も濡れていることに今さら気付いて、アルフォンスは苦笑した。

「・・・泣いてるのか?」

「大丈夫、ウィンリィの言葉が嬉しかったから、それで・・・」

「そうか・・・」

指先で涙を拭う妹の頭を、エドワードは優しく撫でた。

「ねぇ、兄さん。・・・僕もう、この気持ちが間違ってるのかどうか、考えるのは止めにする。これからは自分の心を大事にして、生きて行くことにする・・・。」

妹の凛とした声が室内に響き、エドワードの心にも刻み込まれていく。それはこれから自分達の人生に立ち塞がるものへの、宣戦布告にも聞こえた。

「・・・そうか、じゃあ俺も・・・」

エドワードはそう言いながら、アルフォンスに口付けた。

「な、なんで急に・・・!」

予期せぬことに驚いたアルフォンスは、固まったまま顔を真っ赤にした。そんなアルフォンスに向けて、エドワードはいたずらっ子のような笑みを浮べた。

「アルにキスしたいなぁっていう自分の気持ちに、正直になっただけなんだけど?」

エドワードの嬉しそうな言葉に、アルフォンスはますます顔を赤くした。

「・・・じゃあ、もう一回して?・・・僕も、兄さんとキスしたいから・・・。」

「あぁ、喜んで・・・。」

 

 

 

 

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